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「モナドの領域」(筒井 康隆) [SF]

 佐々木敦氏の近著に「例外小説論」というのがあり、これがSFファンには必読書であるとの事だったので、一旦は図書館から借りて読みかけたのを、(傍線欲に駆られてしまう本だったので)わざわざ購入してしまった(その結果読むのが後回しになっているという、例の逆転現象が起きていて積ンである、というアホな状況なのだが)。その中の筒井康隆の項目を拾い読みしたら、この作品は「パラフィクション」(佐々木敦氏の提唱概念)であると言っている。

モナドの領域

モナドの領域

  • 作者: 筒井 康隆
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/12/03
  • メディア: 単行本


 が、どうもよくわからない。筒井得意のメタフィクションは、登場人物の虚構内存在ぶりを強調していて、見るからに異様な特殊な形をさらけ出して、これ見よがしの「ヘンな小説」であったわけだが、考えて見ればこれは〈神〉としての作者が自由自在に人物を造形し動かすという当たり前の小説構造を強調してしつこく強引に提示してみせるだけのものであって、そこにどんな意味があるのか、ということは私自身疑問だったし、同様の疑念は佐々木氏などにもあったようで(と勝手に解釈した)、それを超えた形、小説が存立するための必須要素としての読者による読書行為〈読者が今それを読んでいる〉の重要さを意識させる形としての「パラフィクション」ということなのだろうと、ここは解釈しておく。

 さてそれとして、パラフィクションであることと、この作品のテーマ(「神」)とが分かちがたく結びついているように思えた。普通の小説(例えば恋愛小説とか青春小説など)でパラフィクションをやる(そもそもそんなことが可能なのかも意味があるのかもよくわからないのだが)のと、効果が違うのではないか?と。

 つまりこの作品のテーマである、この世の全存在を超越する神的な存在が登場していろいろと問答を繰り広げて、まさに神学的な、この世の成り立ち自体を論じるその小説世界自体が、虚構内存在であると同時に、パラレルワールドとしての存在の可能性をほのめかし、それを敢えて読者に受け止めさせることによってパラフィクションとして成立させようという、

【パラフィクションにするに組みしやすいテーマ】

を選んで書いたのではないか?という気がするわけだ。

 つまり、「どうもテーマ依存的な小説作法なのではないか?」という疑問が生じているわけなのであった。

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