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佐渡旅行・その1 [身辺雑記]

 一昨年は東北旅行、昨年は東京駅近辺を回った、恒例の年に一度の集まりの季節になった。
 今年は何故か佐渡という、今までで最遠の地を訪れることになった。その地の提案と幹事役(兼・運転手 兼・ガイド)を、仙台に住むA氏が申し出てすんなり全員異議なしで決まり。実は佐渡はA氏が過去30回も訪れたなじみの土地なのだった。(その理由は、以前「鼓童を聴く」で書いた、「熱心なファン」とは誰あろう、このA氏だったからである。)

 さて、ここで例の《大人の休日倶楽部》の出番だ。実に2年ぶりの活用の機会がやって来たのだ。11月14日(土)からの4日間をそれにあてることにして、事前にメーリングリストで打ち合わせて、乗る新幹線の便を決め、1ヶ月前の10/14にJR日暮里駅のみどりの窓口へ行って、「おと休パス」を買うと同時に、それを使っての上越新幹線Maxとき361号の指定席も予約(無料)した。この時、窓口で自販機の方へ連れて行かれて、駅員が付きっきりで入力を手伝ってくれた。どうやら、そういう助力が必要な「要介護な老人」と見做されたらしい。そりゃまぁ、病気のせいもあり見かけは相当老けこんでるからのぉ、ふがふが。別に私は〈プライドだけが取り柄の最近流行りのキレ老人〉ではないので、気分を害したりせずに素直に介助を受けることにした。元々窓口で口頭で色々教わりながらやるつもりでもあったんだし…。実際のところは乗る便まで決めてあったので、極めてスムーズに操作は進んだから、教えてる方も拍子抜けしたことではあったろう。ま、そんなこんなで取った指定席の車両・座席番号をメーリングリストに報告し、同行するTさんはちょっと遅れて17日に買いに行き、その隣の席をちゃんと取れた。もともとおと休パス適用期間は農閑期ならぬ鉄閑期に設定されるので、慌てなくても十分席は空いているのであった。あと二人の参加者のS夫妻は、当日の朝早く出て長岡市で開催されている新潟近代美術館で亀倉雄策展を観てから、我々と長岡で合流するとのことだった。


 さて、当日11月14日(土)。iPhoneで連絡し合いながら、東京駅の新幹線ホームでTさんと落ち合い、並んで座って新潟に向かう。9:52発。上越新幹線に乗るのは初めてだ。「Maxとき」という編成車両はオール2階建て。長岡から乗ってくるはずのS夫妻の予約した前列(対面座可能)の席は、大宮から乗ってきた客に座られてしまって、一瞬焦ったのだが、手前の越後湯沢で降りていったのでホッとした。で、長岡駅で彼らも順調に乗り込んできた。上越線というのは山地に入ると長いトンネルが多い。小説「雪国」の冒頭を思い出さない人は居るまい(読んでなくても)。

 新潟駅に着いたのは長岡から20分後の定刻11:52。佐渡汽船フェリーの新潟港発は12:35なので、あまり余裕はない。すぐにタクシーに乗って桟橋へ向かう。幸い十分間に合ったのだが、さすがに昼飯をゆっくり食べてる時間は無かったので、売店でおにぎり弁当を買い、2等切符(2,380円)を買って乗り込む。途中全く揺れなかった。天気が穏やかだったし、大きな船だったし。(30年以上前に一度佐渡には来たことがあったのだが、その時の船はとても小さくて、しかも冬の西風に木の葉のように揺さぶられ、生まれて初めての盛大な船酔いに襲われたことがあったのだった。)

 天気と言えば、穏やかなのはいいのだが、1週間前からの予報で雨となっていたとおりの悪天候だった。ざあざあ降りではなく小雨が降ったりやんだりで、気温も高めだったのが救いではあったが。
 船室で酒盛りが始まり、酔った私は少し寝入ってしまった。

 15:00両津港着。ここでA氏が仙台から磐越自動車道をバスで新潟まで来、さらにジェットフォイルで先着していたのと落ち合って、メンバー5人全員が揃った。彼がレンタカー(TOYOTAのアクア)を借り出し、いざ島内観光に出発。

 ↓最初に寄った本間家の能舞台
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 次に「トキの森公園」へ行く。
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 ↓「朱鷺ふれあいプラザ」へ
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 ↓ケージの中の様子。6羽ほど白く見える。遠くてよく見えない。
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 ↓その右の方の3羽のクローズアップ(デジタル拡大なので画質劣化)
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 立ち入り禁止区域の地面に何やら朱鷺らしき鳥がうずくまってるのだが、全く動かず、模型であると知る(なるほど、ヒトにも怯えず泰然自若な模型に比べ、生身の朱鷺は「我、未だ模型たりえず」か?)。放鳥トキの居場所情報(というものがあるらしいのだが)を入手できず。その後車で走りながら目を凝らし、田んぼに時々白いものが見えると、すわっ朱鷺か!と気色ばむが全部空振り。ただのビニール袋だったりするんだわ、紛らわしいったらない。

 ↓大膳神社の能舞台を見る。茅葺き屋根とは珍しい。それにしても他に見物客がまるで居ない。
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 近く寄ってみると、たしかに能舞台。
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 ちなみに最近のニュースで新潟日報のサイトに「佐渡の能 奥深さを番組に取材|地域|新潟県内のニュース」がある。佐渡で能がこんなに盛んだったなんて知らなかった。島流しにあった貴人のもたらした文化らしいのだけれど。(←と思ったら、そうではなく、佐渡奉行の大久保長安が能楽師を帯同して赴任してきたため、とA氏の訂正が入る)

 ↓次に寄ったのは妙宣寺
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 しかし、ここ以外にもお寺がやたら多い。歴史のある島だなぁという印象。

 日が短くなっているので、夕方の暮色濃し。よって、本日の観光はここまでとし、宿の〈花の木〉のある南西部に向かう。

  A氏が「佐渡のウリに夕日と星空の美しさがある」と言ったので、日が落ちてから妙に暗いなと感じていた原因はここの街灯の少なさや商店の閉店時刻の早さだ、と気づく。なるほどそう言えば星空の文字通りの「天敵」は光害だ。街中を離れると、「とっぷり」という死語に近いオノマトペが息を吹き返すかのようだ。
 ここで、昨年10月にNHKで放映されたアイルランド・アイベラ半島の「世界一の星空」を観て感心したのを思い出す。佐渡の灯火管制はあそこほどではないにしても光害制限は星空には欠かせないのだな、と実感する。
 あいにくの天気で、夕日も星もどちらも見ることかなわず残念だ。「凄い!降るような星だ」(←from "2001:A Space Odyssey")の台詞を吐きたいものだが。

 〈花の木〉は佐渡を知り尽くしているA氏の選んだ宿だけあって、面白い造りだ。帳場というかフロントに入ると、巨大な岩の平板が床に並べてあった。各部屋は独立した建物(玄関別の二部屋あり)になっていて、そこまで傘をさして歩いて行く。
↓宿のサイトからコピペした夕食の写真
 (食べるのに夢中で自分では撮り忘れた)
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なんといっても圧巻は、蟹まるごと一匹!これは豪勢だ。上手い殻の割り方など教えあう。しばし沈黙してひたすら食べる。沈黙をもたらす数あるシチュエーションの中で最も嬉しい沈黙かも。

 食後は部屋に戻り女性陣も加わって、夕方2本買ってきた現地の清酒で酒盛り続行。つまみは乾き物のみ。
みな結構お疲れか?10時位でお開き。



11月15日(日)
 事前の計画では、朝食前に散歩して近くの岩屋石窟を見に行こうかなどと話していたのだが、天気悪くまた皆寝坊したので省略。朝食は美味しくてボリュームもあり。
 9:00チェックアウト。すぐ近くの宿根木集落へ向かう。A氏任せでどんなところか自分では調べず、行くまで知らなかったのだが、とても面白い古い町並みが残されて狭い路地裏をたどっていくのが楽しかった。以下連写。
 ↓駐車場から歩いて坂を下りて行くと、町並みを俯瞰できる場所に来た。石を並べた屋根が特徴的。それにしてもすごく建て込んでいる。
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↓遠くに海が見えるが、そこまで回りこんで下りて行くと、
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↓このかつての港に着く。昔は千石船を繋いでいたという石柱が残っていた。(地盤隆起で浅くなって廃港とか)
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↓こういう特に展示用に公開されている家屋がいくつかある。(ここには入らなかった)
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↓とにかく路地が狭い。
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↓疎水も流れていい感じ。
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↓ここがJRのCMで吉永小百合が立っている写真が有名になったスポット、三角屋。
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↓こういう家は皆、老朽化した千石船の船材を再利用して建てたとか。
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↓神社もあった。
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↓生活感がある。今でも人々が暮らしているのである。かなり不便かも。夏には鼓童の公演もこの地で開かれるとか。
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↓最後に、駐車場のあった標高まで戻るための上り階段。
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 次にさらに西の深浦海岸へ向かう。
↓その名の通り深い入江。高い所から見下ろすと
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↓上の写真を撮ったのはここに見えている橋の上から。
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↓海岸近くの高台からの眺望は絶景。ここでにわか雨に襲われてしばし待機。
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 この近くにある「鼓童村」のそばにある佐渡太鼓体験交流館に寄り道して、A氏だけ降車してちょいと顔出し。その後、海岸線を北上し、真野湾の北、佐和田に行って昼食を食べようと行った店がお休み!仕方なくあてもなく歩きまわって、時間と体力を消耗し、適当な焼肉屋に入って冷麺やらラーメンやらを食べる。

 さて次は、金山のあった相川地区である。時刻は午後1時を回っていた。写真はいきなり飛躍して、
↓金山の坑道に入っていくところから。相当深く入っていく。やや圧迫感がある。
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↓これは排水作業で手回しポンプを回している所を再現した人形と模型。見た瞬間「おぉっ!アルキメデス式揚水ポンプじゃないか!」と叫んだ。
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↓落盤防止工事をする大工。他にも沢山のいろいろな職業に分業されていたようだ。
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↓この人形群、首や手が少し動いて、おまけに時には喋るのでちょっと気味が悪い。「仕事がきつい」「馴染みの女に会いてぇな」とか。内容もややエグい。
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↓出口近くの紅葉が綺麗だったので、パチる。
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 その後、出口前の展示では当時の鉱山町の様子がミニチュアで説明されていて、5万もの人口があったという、隆盛期の状況が分かりやすかった。あれだけの人々を動員して多大な労力と資源を投入しても十分過ぎるほどの利益をもたらした金というものの凄さ、(まさに)重みを感じさせられた。重みといえば金の延べ棒20Kgほどのが(多分フェイクだろうが重さは本物)ガラス容器に入っていて、穴から片手を入れてそれを取り出すというゲームがあって挑戦したのだが、滑ってしまい、失敗。
 それにしても驚いたのは金の産出量のグラフで、てっきり江戸時代が最盛期かと思っていたら、なんと昭和になってからグラフが急激に伸びているのを見たこと。もうそのころには廃坑になってるものとばかり思っていたのに…びっくりポンや。
↓そこを見終わってから、さらに近くの「旧北沢選鉱所」にも寄る。説明もなんもない。広々とした場所に、階段状の施設が山にそって建てられており、この落差を利用して選鉱が行われたのだな、くらいしか想像できない。
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 とここまでで全員での観光は終わり、月曜には仕事があって戻らねばならない3人は両津港からの4:05発のフェリーに乗って帰るため、港に向かった。途中土産物屋によって買い物。最近出来たらしい、円形多目的ホールを備えた公立施設に立ち寄る。

 今回、A氏の的確な旅程設定と事前予約調整によって、また自在に動けるレンタカー(の運転)によって、実に効率的にめぼしい場所を見て回ることが出来たこと、感謝感謝である。
 港では車から降りるところまでで、船の出港を見送るまでは出来なかった。

 ここから残った(仕事は無いので、時間は有り余っている)二人(A氏と私)はせっかくの佐渡、一泊で帰るのはもったいないのでもう一泊しようと初めから決めており、別の旅館(入海)に予約を入れておいたので、まだ日は暮れていないものの、そこへ向かった。
(第1部了)

タグ:佐渡 写真
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A氏

こうして振り返ると、なかなか充実した旅だったねぇ。記述には幾つか誤りがあるけど、ま、いいでしょう。後編も、よろしく。
by A氏 (2015-11-21 19:45) 

ask

>記述には幾つか誤りがある
げっ!
どこかなぁ?気になる。遠慮無く、コメントで指摘してくださいな。
by ask (2015-11-21 19:58) 

ask

A氏からはメールで3点ほど間違いを教えてもらいましたので、本文を訂正しました。
・最初の能楽堂の名前
・能の普及の理由(貴人ではなく佐渡奉行)
・鼓童村でなく佐渡太鼓体験交流館
の3箇所です。
謝射。
by ask (2015-11-22 18:20) 

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