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「悪質性」という言葉に対する違和感 [言葉]

テレビのニュースを観ていたら、トヨタの女性取締役(取り締まられ役ではない)の麻薬輸入事件について「悪質性が低いと判断して不起訴」という表現がなされた。
「悪質性が低い」

なんて表現は初めて聞いた(多分)。

 いや、そもそも「悪質性」という言葉が、だ。「悪質」というのは、悪質かそうでないかの二分法的に使われるのが普通(定性的)で、その程度をグレースケール的に表現する指標(定量的)ではない。もちろん「極めて悪質な」と言うことはある。しかしそれは「悪質度・十段階評価で9乃至10」というようなことではなく、「悪質な」をただ強調しているにすぎないのではないか?

 「悪質な冗談はやめて下さい。僕は死ぬかもしれないのですよ」つげ義春「ねじ式」より)と言うときに「悪質性の高い冗談はやめて…」なんて言わないだろうし。
 このニュースの場合、単に「悪質ではないと判断」と言えばそれで済んだのだ。あらたまった公式の場だからといって持って回った表現をすれば様になると考えるのはとんでもない(慎太郎型)間違いだ。

 ここで思い出したのが、以前やはりTVで耳にして違和感を感じた「有効的」である(「…この仕掛けが有効的に働いて…」)。「的」も「性」も似た機能を持つ。「有効的」は「友好的」という既存の言葉に引きづられての誤用だろうが、名詞に「的」をつけて形容動詞を作ることが出来る文法例の乱用とも言える。実にまぁこの、乱用的だ。

 「〜性」という接尾辞はいろいろな形容詞もしくは名詞に付けられるが(例:「可能性」「緊急性」「柔軟性」「稀少性」)、言わない例も(あえて作れば「謙虚性」「悲観性」「貧困性」等)沢山ある。大雑把に区分すれば、「〜性」が付けられるのはその《程度・度合い》がある程度数直線的にグレード付け可能な種類の性質についての定量的な言葉の場合、と言えそうな気もするが、はっきりしたことはわからない。

 よくわからないつながりで言うと、「〜性」と言うときにその程度を「高い低い」で言うべきなのか「大きい小さい」か「強い弱い」なのか、迷うことがよくある。明確な基準は聞いたことがない。

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