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「ハックルベリー・フィンのアメリカ」(亀井 俊介) [ノンフィクション]

先日、葛飾区立中央図書館で催された「がんとの共生」という一般向け無料セミナーを聴講(これ自体はあまり面白くもなく、得るところも少なかった)しに行って、その後で図書館内をぶらついていて、ふと目に止まって借りてきた本。さすがに「中央」と冠するだけあって蔵書の充実ぶりはなかなかのもので、他にも3冊も借りてきてしまった。

ハックルベリー・フィンのアメリカ―「自由」はどこにあるか (中公新書)

ハックルベリー・フィンのアメリカ―「自由」はどこにあるか (中公新書)

  • 作者: 亀井 俊介
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 新書


 「ハックル」と言えば、そんなハンドルの人が居たっけなぁと思いつつ(別にその人に私淑などしていないが)、この有名なアメリカの小説に興味が無いわけではなかった。

 と言っても、実は「ハックルベリー・フィンの冒険」の原作は読んだことがない。幼い頃、絵本化されたものをなぜか親から買い与えられて読んだ記憶はある。ストーリーは忘れてしまったが、その絵のいくつか、ミシシッピ川の岸辺の木の影に潜んで捜索する船から身を隠している場面、巨大ナマズを釣り上げようと格闘する場面、暗闇の中焚き火のそばで逃亡奴隷に銃を突きつける場面、その奴隷と一緒に逃げ出して柵を超える場面、などをかなり鮮明に憶えている。表紙の麦わら帽子をかぶった笑顔の主人公の顔も。

 この本はアメリカ文学史上最大の国民作家、マーク・トウェインの生涯を追い、その最高傑作であり、その後の文学のみならずアメリカ人の心に大きな影響を与えた「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885年出版)という作品について、そこに込められた〈自然〉と〈文明〉へのアンビバレンツな思い、〈自由〉と〈自己存在〉の探求について考察した本である。

 フロンティアがまだあった時代、しかし、そこには文明化・機械化・都市化(いわゆる「金メッキ時代」)の到来がひしひしと進行しつつある時代でもあった。自然への憧れと近代化の豊かさのはざまで、自由な自我の確立に迷いさまよう心理が広範にあった。それはアメリカ人の基本、基底にある心性である、と。

 それを主題としたこの小説は「アメリカのアダム」(=アメリカ人の原型)としての大きな存在感を現代においても発し続けている。
 本書内でこの作品に先行するいくつかの小説作品を一望し、逆にまた現代においても、ヘミングウェイ、フォークナー、サリンジャー、カポーティ、ソール・ベローなどに大きな影響を与えている、として作品を個々に詳しく紹介している。

 なるほど、その存在の大きさをあらためて得心させられる本だった。

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