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「漱石の孫」(夏目 房之助) [ノンフィクション]

 夏目房之介については随分前から「週刊朝日」の「デキゴトロジー」や「学問」などの漫画付きコラムで知っていたが、なんと言っても「BSマンガ夜話」での親しみが大きい。マンガ表現技法の文法(コマ割り、描線、時空表現などなど)の緻密な解説は毎回うならされるものがあった。マンガ論の著作も何冊か読んだが、今回の趣向はまた新しく、非常に個人的な事情を語っている。
 この本はかなり前に出ていて存在は知っていたが、読む機会がなかったものを図書館でたまたま見つけたので借りてきた。

漱石の孫

漱石の孫

  • 作者: 夏目 房之介
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2003/04
  • メディア: 単行本


 NHKの「我がこころの旅」という紀行番組の企画で、孫である著者が漱石のロンドン滞在中に住んだ下宿を訪ねたのだが、そのときの所感から説きおこして、自分の幼少期から思春期・学生時代、漫画家/漫画評論家への道を歩み出す頃、そして一定の成果を達成した今、それぞれのときどきに漱石という存在を自分の中でどう位置づけ、どういう心理的関係だったかをふり返っている。
 こういうタイトルの本を書けるというのは〈偉大な文豪の孫〉であるという幼少時からのプレッシャーを克服・乗り越えただけでなく、相対化し整理し、自分なりの生き方・仕事に自信と展望を持つことが出来たからだろう。それも個人史・家族史だけでなく、社会的文化的歴史的文脈も含めた上で。

 著者が生まれるはるか前に漱石は亡くなっているので、直接のふれあいは無かったわけだが、祖父と孫の間をつなぐ父という存在を通して育児・家族関係の中にその影響はトラウマの連鎖という形で忍び込んでくる、というあたりの記述はスリリングなものがある。
 家族史という小さな視界とは別に、漱石という精神が格闘した〈近代〉や〈国家〉という巨大な存在を検証し、それが時代を経るにつれて変貌する過程と、それにリンクした自分の立ち位置とを、ともに「時代の子」として捉えつつ分析している。つまり文明論的視点。
 それぞれ「文学論」(漱石)と「マンガ論」(房之助)と奇しくも似たような仕事を志しているわけだが、その時代との関わり方の相似性が説かれる。
 「知識人」が成立し得た時代と、現代の「大衆化し中間層化した知識人」との対比論は面白い。

 これらの「論考」的部分は、ロンドンのあの下宿で得た啓示的な体験(理解と許し、受容と肯定)を著者なりに究明整理する過程でなされたもので、元々彼の文章は非常に平明なのだが、今回のような困難なテーマにしてもそれは変わらず、とてもわかりやすく面白かった。

 それにしても「漱石の孫」に当たる人(血を引いている人)は現在十人以上居ると思うのだが、なんで彼だけがその重荷を担わなければならないかったんだろうか?長男の長男、というのはあるにしても。

タグ:漫画
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