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「させていただく」という表現に対する違和感 [言葉]

「させていただく」という言葉には以前から違和感を持っていた。
 一番気になっていたのは鳩山前首相がやたらとこれを連発していたことで、あれを耳にするたびに気持ち悪くなったものだ。

 それが昨夜のNHK番組「みんなでニホンGO!」の中で取り上げられていた。
 この「させていただく」は、敬語表現を強くしようとして、ハイパーコレクション(過剰矯正:丁寧に言おうとし過ぎて文法が崩壊するケース)になっている例だ。
 浄土真宗の他力の考え方に基づく歴史的伝統ある表現という説もあるにはあるが、今流布しているのはこれとは違うだろう。

 「〜させていただく」は「〜させて貰う」の謙譲表現と言える。しかし、これは元々「あんたの意向にはかかわりなく当方で勝手にやらせて貰う」ということで、例えば、
「こんなんなら、もう解約させて貰う」
「自宅まで集金に行かせて貰う」
「こんな会社、辞めさせて貰う」

のように使う言葉だ。「〜させて」の「〜(動詞)」の主体は話し手だ。「させる」は使役の助動詞なので、その使役する主体は相手という形になり、そういう使役を相手にやって貰う、という形式になる。それを自分が一方的に宣言しているのであって、かなり失礼な言い方ではないか。こんな表現は敬語化するのには馴染まない筈だ。だから違和感を感じるのではないだろうか?
 適正な言い方は「〜いたしたいと存じます」くらいかなぁ?

 蛇足だが、TVを見ながら私がツイートしたジョークを一発。
http://twitter.com/asknkn/status/25979507502 (ちなみに、1ふぁぼ)
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