SSブログ

死んだらどうなる?on Twitter [身辺雑記]

 先日(10月2日)Twitter上で行われたアンケート調査について書こう。調査と言っても、1個人ユーザーによってなされた簡単なものである。こんな↓質問がTL上に投じられた。

>【質問】死んだらどうなると思ってますか? 生まれ変わり? 消滅? 仏になる? 先祖になる? 死後の世界に行く? リプライで教えてください。集計してあとで報告します。なるべく詳しく教えていただけると嬉しいです!【急募】
(元つぶやきはこちら 。)
これを発したのは29歳の真言宗僧侶である、松下弓月さん。補足的にこうも呟いている。
>yuzuki_m 自分はできれば涅槃に入って無がいいですが、自信がないので輪廻してなにか別の命になっているかと。地獄は勘弁して下さい。

 これは、僧侶にしてはまだ確信がないのかな?とも思えたが、まだ修行中勉強中なのが素朴に伺えて微笑ましく思えた。

※ちなみに、問いかけの文の最後にある【急募】という文字列は、これを見つけると「誰それが〜〜を要求しています」というメッセージを呟くボットに見つけて貰うために入れられたものである。これによって、自分をフォローしていない人にも届くという非常に有用なボットで、ユーザー側の工夫としてボットの極めて有効な使い方であろう。もっとも、その急募ットをフォローしていないユーザーは見る事はないのだが、急募ットのフォロワー数は数千居るので、単純に呟くよりはより多くの人の目に触れる機会が得られるのだ。ちなみに私はそれ以前からこの人とは相互フォローの関係にあった。(幸福実現党の得票数と精神科病棟病床数を比較する冗談をたしなめられたりした^^;)

 意外かも知れないが、Twitterにはお坊さんも結構居る。元々一種のSOHOであるお寺さんというのは、檀家管理などIT利用に積極的でコンピュータ導入も早く、以前からパソコン通信などでも活躍する僧侶の方は多く居られたのを想起させる。
 で、この質問は面白そうだと思ったので、即座にこうreplyした。

>asknkn @yuzuki_m 「消滅」。体を構成する原子が流転するように、仮に霊魂が別の生命に宿るとしても、意識・人格が持続しない以上、物質と同じようにそれが以前どんな生物上にあったか、は無意味。

 これは日頃考えていた事だ。140字制限があったのでこれしか書けなかったが、補足しよう。以前酷評した「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」という小説の中で唯一共感した部分に、これと同じ事が書いてあった。たとえ魂なるものがあったとしても、生まれ変わってしまえば前世の記憶・意識は残らず、実存は失われる。死による断絶はそれほど過酷で徹底的絶対的である。だったら霊魂もまた代謝する物質と同じではないか、と常々思っていた訳だ。つまり、あるかどうか知らないが、あったとしても無意味である、と。
 生はその一回性のユニークさにこそ意味を求めるべきである。死を恐れるのは生命体として当然だが、誰しも免れない以上、受容するしかない。魂の不滅などを求め信じるのは現実からの逃避、ごまかしに過ぎない、と。自我への煩悩の極致と言うべきではないか?自我など無くなるというのに。自分が永久に存在し続けねばならないとしたら、むしろそっちの方が恐ろしいのではないか?などとも。
 
 さて、回答者への個別replyで、yuzukiさんは、私宛には
>yuzuki_m @asknkn 「個人の意識」って生まれ変わりを考えるときに重視されすぎているように感じます。普通にしていたって病気や事故などの肉体的変化で個人の意識だって簡単に変わってしまうのに、死んでからも一貫して続く意識などありえないと思います。

と、先刻ご承知のようであった。確かに「♪だけど心なんて、お天気で変わるのさ」という歌もあるように、快晴なだけで幸福にもなるし、歯痛で地獄になったりする。一方で意識の一貫性歴史的継続性はきわめて重要で、過去の自分と今の自分が同一のものという意識のありようは、これを失うと統合失調症になるほどの、人間存在の基本だろう。
 yuzukiさんが「死んでからも一貫して続く意識などない」と看破しつつも、なおかつ死後の自分というものに拘るのはどういうことだろうか? つまり、意識や人格よりもっと高度なレベルでの存在意義というものがある、というような事か…?と俄には真意が掴めなかった。

 さて数日後、告知があった。
>死後のイメージアンケートまとめました。1位無になる(16票/51.6%)2位生まれ変わる(9票/29%)3位仏になる(2票/6.5%)4位幽霊になる、天国にいく、信じている通りになる、わからない(各1票/3.2%)でした。詳細は→ http://buddhistlife.net/2009/10/twitter/
 これだけちゃんとまとめて報告してくれるのは誠実な態度だ。これを読むと、やはり私のような「消滅」派が多数なのがわかる。ま、当然だろうとは思う。ご本人の見解は示されていない。あくまでも客観的統計的な報告にとどまっていて、少々もの足りなさを感じた。節度があるとも言えるけれど。
 ところで、「昔よりも来世を信じる人が減った」というようなことを書かれているが、最近はどうもまた状況が変わって来ているようで、若い人たちにはスピリチュアルブームの影響か、来世を信じる人が増えているようだ。小学生アンケートで「人は死んでも生き返る」なんて答が多数あった、というびっくりな報道もあったし。(もっとも、これは学力低下問題と同じ次元の話のようにも漫画やアニメの影響のようにも思える。地動説を知らない子が多い!というのと同じで。)

 寄せられた回答の中でyuzukiさんが「一番しっくり来る」とわざわざ紹介したのが、同じく僧侶らしき方の、
>@yuzuki_m 死後「輪廻する私」がいるわけでなく、行為と結果の織りなす流れが流れ流れます。「私」という認識が絶えず合成され、その合成連鎖を「私」と仮設して振り返ることで過去生の記憶までも成り立ってしまう。そうして作られた「過去の私」も刹那刹那、また新たな流れの因となります。
という意見である。
 うーん、これは難解だ。「合成連鎖を『私』と仮設」とはどういうことなのか? これは個々の人間レベルの認識ではなく、いわば〈火の鳥〉かなんかの観点での話ではないのか?
 聖書の言葉に「人が死んで残るものは、その人が得たものではなく与えたものである」というのがあると「氷点」(三浦綾子)の中で出て来て、強く印象に残っていて真理だと思うのだが、滔々たる人類史の流れの中で、夥しい人々の営為が社会を作り歴史を作り、子孫を残す事で連綿と続いて行く。それを巨視的に眺めればこういうことも言えるのかも知れない。そして、それを否定する気は私にはない。むしろ、賛同させて貰いたい、と思う。私のような凡庸な人間でも、蝶の羽ばたき程度には人類史に参画したのだ、と。
nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 3

nisi8

前世の記憶がナイからといって死んだらすべて無とは言えないのでは。
母親から生まれたときの記憶を持っている人はいないだろうが、生まれた事実はある。
現在の宇宙物理では、生命が存在する確率はほとんど0だといわれている。確か10のマイナス120乗分の1位に計算されるらしい。しかし生命が存在する理由は、物質誕生以前に存在した意志を想定せざを得ない。
つまり、物質に依存しない意識であり、生命の本質は物質を超えているはず。と言うことは脳髄という物質に依存しない意識がある可能性が高いのではないかと思いますが。
by nisi8 (2009-10-13 22:00) 

ask

nisi8さん、はじめまして。
>現在の宇宙物理では、生命が存在する確率はほとんど0だといわれている。
初耳です。ドレークの方程式では随分楽観的に見てましたが、最近の知見で修正されたんでしょうか?

>物質誕生以前に存在した意志
物質と関係ない意志がどうやって物質と相互作用を行えるのかわからないんですが…。

ま、ここでそういう論争はやりたくないので、この辺で。
by ask (2009-10-13 22:54) 

ask

タモリ倶楽部で以前放映された、「虚空山彼岸寺による東京坊主スタイル」。私も見た記憶がある。(Perfumeを初めて目にしたのもこれだった)これに出演していたのが、この松下弓月さんであったのを本人がTwitterで呟いたURLで知って、バカウケしてしまった。いやはやびっくりwww。↓
http://www.youtube.com/watch?v=GZfVE5FceSA&feature=player_embedded
by ask (2009-10-27 13:01) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。