「無限記憶」(ロバート・チャールズ・ウィルスン) [SF]
あの「時間封鎖」の続編だ。(ちなみにこの本。某書店では同じ創元SF文庫の日本短編SFアンソロジー「虚構機関」「超弦領域」と並べて平積みしてあった。店員が一連のシリーズものと勘違いしたに違いない。)
(以下ネタバレあり。)
タイトルは一見して何のことやら分からないが、第1巻での謎が多い〈仮定体〉の正体に迫る、三部作の真ん中の作品で、期待通りの面白さだった。とは言え、壮大な規模の謎の輪郭がおぼろげながら示されるだけで、全てがすっきり解明されるという訳ではないのがもどかしいのだけれど。
今回のストーリー展開は前作に比べシンプルである。舞台はスピンが始まってから70年後、スピンが解けてから30年後の、インド洋に出来たアーチの先にある惑星上の大陸イクェイトリア、その西部砂漠地帯。前作ほど込み入った恋愛描写はないが、今回でもヒロイン、〈仮定体〉に魅せられて失踪した父を追うリーサと、それを助ける風来坊の男タークとの間の恋愛模様はストーリーの味付けになっているけれども、前作ほどには鼻につかない。
もう一方の主人公アイザック(ってアシモフへのオマージュか?)は、〈仮定体〉とのコミュニケーションを図ろうと火星のバイオ工学を用いて胎児期に特別な処置を施して生まれた少年で、彼が惑星の地殻内に存在する〈なにか〉と交感する過程が描かれる。
そして波状的に襲う、天空からの〈仮定体〉の老化廃棄物らしき夥しい降灰、その灰から生じる奇妙な植物のような生命体…。
ネットワーク的自己増殖機械生命群体〈仮定体〉が持つ何十億年もの歴史と銀河系規模のスケール、そこに蓄積された無限記憶と、ヒトの記憶とのマージ。しかし、そのチャネルに当然のように〈テレパシー〉が使われているのはどうもいただけない。これをやられると私は一気にノリが下がるのであった。話の壮大さは大好きなのに。
人間とはまるで次元の違う異生物とのコミュニケーションの不可能性の問題はレム以来何度も描かれている訳だが、このジャンルでの新たな展開が最終巻"Vortex"でなされることを願いたい。で、その刊行待ちになるのだが、原書版もまだ出ていないらしい。執筆に詰まってしまってないことを望むばかりだ。
(以下ネタバレあり。)
タイトルは一見して何のことやら分からないが、第1巻での謎が多い〈仮定体〉の正体に迫る、三部作の真ん中の作品で、期待通りの面白さだった。とは言え、壮大な規模の謎の輪郭がおぼろげながら示されるだけで、全てがすっきり解明されるという訳ではないのがもどかしいのだけれど。
今回のストーリー展開は前作に比べシンプルである。舞台はスピンが始まってから70年後、スピンが解けてから30年後の、インド洋に出来たアーチの先にある惑星上の大陸イクェイトリア、その西部砂漠地帯。前作ほど込み入った恋愛描写はないが、今回でもヒロイン、〈仮定体〉に魅せられて失踪した父を追うリーサと、それを助ける風来坊の男タークとの間の恋愛模様はストーリーの味付けになっているけれども、前作ほどには鼻につかない。
もう一方の主人公アイザック(ってアシモフへのオマージュか?)は、〈仮定体〉とのコミュニケーションを図ろうと火星のバイオ工学を用いて胎児期に特別な処置を施して生まれた少年で、彼が惑星の地殻内に存在する〈なにか〉と交感する過程が描かれる。
そして波状的に襲う、天空からの〈仮定体〉の老化廃棄物らしき夥しい降灰、その灰から生じる奇妙な植物のような生命体…。
ネットワーク的自己増殖機械生命群体〈仮定体〉が持つ何十億年もの歴史と銀河系規模のスケール、そこに蓄積された無限記憶と、ヒトの記憶とのマージ。しかし、そのチャネルに当然のように〈テレパシー〉が使われているのはどうもいただけない。これをやられると私は一気にノリが下がるのであった。話の壮大さは大好きなのに。
人間とはまるで次元の違う異生物とのコミュニケーションの不可能性の問題はレム以来何度も描かれている訳だが、このジャンルでの新たな展開が最終巻"Vortex"でなされることを願いたい。で、その刊行待ちになるのだが、原書版もまだ出ていないらしい。執筆に詰まってしまってないことを望むばかりだ。
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