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学校でウンコできない小学生 [世の中]

 毎日新聞の日曜日掲載漫画「毎日かあさん」(西原理恵子)の6/14の回は、小学生の男の子の間に蔓延する【学校でウンコをするのは極めて恥ずかしい行為】という奇妙奇天烈摩訶不思議な行動規範について描いている。
 この愚かで馬鹿馬鹿しい風潮は一体なんとしたことか! 笑って済ませられる話ではない。
 漫画の内容はこうである。
 小学生の男子は、学校でトイレ(大)に入ろうとするだけで、周りの子にからかわれるので、恥ずかしくてウンコできない。
 ということで、絶対に学校ではしない。そのため、したくなっても我慢し続け、帰ってから自宅でするのが鉄則だが、西原ママは近所の5人の息子を持つママ友から〈不意の外出で留守にする時のための置きカギ〉を預かっており、結果、排泄欲の我慢に我慢を重ねた子供たちが何人も訪問することになる。その多くがこらえきれずパンツの中に脱糞しており、えも言われぬ芳香を漂わせながら玄関で「カ、カギくださぁ〜い」とうめく状況となる。

 …という話だった。
 こういう風潮は前から良く聞いてはいたが、私自身の子供の頃はなぜかそんなことはなかったので、異様に感じていた。全国的な傾向なのか? いつ頃からはじまったのだろうか? ちょっとググってみたら、30年以上前からある、という証言もあった。例外は勿論ある。(先生のうまい指導や、ボス格の子供の腹が弱くて、というのも。)
 それにしても、なんとも困った風潮ではある。健康にも良くない。中学生くらいになるとこれは弱まり、高校生にもなれば「ウンコしてくっぞ〜」と堂々と宣言して行けるようになるようだ。
 こんな下らない風潮、なんとかならんものか、処方箋を考えようか、とこの文章を書き始めたのだが、そんなものがあればとっくの昔に撲滅されているだろうと気づいた。男子トイレを女子トイレと同様全て個室に改造する、などという案もあるらしいが、この財政難下で、なおかつ教育にはケチな政府では難しい。西原氏も、もう当然の話として受け止めており、なんとかしないと、などと対策を考えたりせず、「コカンにモノがはさまった彼らのもの悲しいはや歩きが…いやぁがんばれ小学生男子」とエールを送るばかりである。もうハナっからそういうものだ、と達観しているよう。
 そもそも子供というのは【大いなるスカトロジスト】である。排泄行為というものあるいは排泄物に異様な興味関心を示す。「ウンコ」というキーワードだけで子供を笑わすことが出来るほどだ。かれらの世界は狭いので、大便をする、という何のことも無い日常的な生理的行為でも彼らにとっては重大事なのだ。まぁ一種の成長過程なのだからしょうがない、のだろうけれど、それにしてもいかにも愚かな話であると同時に、こんなことを問題にする(できる)ようでは日本は平和だな、と言うことか。
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peco

大人になった現在は、我慢してモソモソ歩いている方が恥ずかしいと思えるんですけど、小学生の時は排便=負けでしたよ。
しようものなら、男子だけじゃなく女子もあだ名が「うん子」でしたもの。恐ろしいことです。小学校と中学校は大体同じメンツが揃うので、中学校でもやはりそのニックネームは変わらずです。嘆かわしいことです。
by peco (2009-06-18 18:13) 

ask

>男子だけじゃなく女子も
ひぇえ! 女の子の間にまでそんな?! 時間の長さで見破られるのか。
したくても、トイレに入ってなお我慢するとしたら、なんという忍耐力でありましょう。この健気さ、涙無くしては聞けませぬ。
by ask (2009-06-18 21:42) 

morichan

子供はうんことかおならとか好きなのになんでなんでしょうね。

たぶん1970年の時点で東京でそうでした。でも低学年でなくて中・高学年のノリなのかも。あー、低学年だと教室内でおしっこ漏らすとかあるから、その延長で捉えられるのかしら。
by morichan (2009-06-18 22:43) 

ask

morichanさん、はじめまして。
>うんことかおならとか好きなのになんで
うむ、可愛さ余って憎さ百倍とでも言いましょうか、とにかくたかがクソごときにこだわり過ぎなんですな。
「されどウンコ」と。
by ask (2009-06-18 23:04) 

duznamak

 1982年生の長野県民です。確かに「学校でのトイレで大」はからかいの対象だったし、恥ずかしいという感覚でした。「排泄行為への関心」は、他人のそれへの注目を呼び、からかいの種となる。一方、注目された当人はそれを嫌がり、それが“恥”という感覚につながるのだと思います。思ってるだけで、何の根拠もありませんが。
 でもまぁ、これは、“恥”を相対化する身近かつ明快な実例なんだと思いました。ある文化圏においては“恥ずべき”とされる行為であっても、別の文化圏においては実にショーもない、何でもないことだったりするのでしょうね、たぶん。

 上の方もおっしゃっていますが、大人になった現在、「排便=恥」の感覚は、理解はできても、共感はできないものになってしまいました。ですから、小学生諸君に対しては、「健康に悪いから、恥ずかしくてもトイレ行った方が良いよ」なんて思ったりもします。
 ですが、僕自身、人前で音を立ててオナラをすることは憚られ、やはり我慢してしまうのです。だって、恥かしいから。
by duznamak (2009-06-19 04:12) 

ask

>別の文化圏においては
そうそう、確か欧米では無作法の極みの〈ゲップ〉は、アラブ圏においては「食後、美味しかったという意味を表すので、しないとかえって失礼」でしたよね。
合ってます?
by ask (2009-06-19 09:47) 

duznamak

>アラブ圏においては「食後、美味しかったという意味を表す

 恥ずかしながら、これは知らなかったです。今度、身近なアラビストに確認してみようと思います。

 そういや、何かの本で読んだのですが、どこぞの南の島の住民は、着衣という文化を持たず、常に全裸で過ごす一方、食事を恥とする文化を持つんだそうです。食事を見られるのが恥ずかしいから、人前では決して物を食べないんだとか。

 また、中世のイラン世界では、"言い訳”は恥ずべき行為ではなく、むしろ推奨される行為だったようです(現在でもそうなのかもしれません)。歴史書を読んでいると、なんか悪いことをした皇子やら家臣やらが、君主の前で言い訳をして慈悲を乞う、という場面によく遭遇します。
by duznamak (2009-06-21 12:12) 

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