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「悪魔という救い」(菊地 章太) [ノンフィクション]

〈悪魔〉というものに興味がないと言えば嘘になる。勿論、無神論者の私は悪魔の実在など信じないが、〈悪魔という現象〉あるいは〈悪魔という概念〉には、人間存在の持つ普遍的な困難さが現れているように思えるのだ。
 いや一度だけ、「悪魔の実在(?)」を感じた事がある。
 以前、TVでアメリカ軍の開発した通常型で最大(10t)の超大型爆弾の投下テストの映像の後にコメントしていたラムズフェルト国防長官(当時)のうすら笑いの顔がまさに悪魔的な印象を与えたのだ。身の毛がよだった。ひどい武器についての話だから、とかそういう文脈とは関係なく、単純に画像そのものから直感的に感じたのだ。「あ、こいつ悪魔が憑いてる」と。私ゃ霊感など全く無い人間なのだが、このときばかりは「見破ったり!」と思った。しかし、当然起こってしかるべき聖職者たちからの指摘は(多分)なされなかったようだ。しかし、私だけという訳ではなく、ググったら、Yahoo!知恵袋で
>ラムズフェルド国防長官の笑顔は、イラク戦争で米軍の進撃が順調だった頃どう見ても悪魔にしか見えませんでした。
と書いてる人が居るのを発見したが、それくらいしか無かった。ヴァチカン法王庁で問題にならないのが不思議だった。
 などと余談が長くなりすぎたが、〈悪魔〉に関しては少しネタはあるので、いずれ別の機会に書こう。今回は本の紹介だった。
悪魔という救い (朝日新書 (098))

悪魔という救い (朝日新書 (098))

  • 作者: 菊地 章太
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2008/02/13
  • メディア: 新書

「悪魔祓い」について学術的に解説した本である。
 悪魔祓いはいかがわしいものではなく、カトリックの正式なしかも重要な儀式として昔から権威付けられ、今現在もなお広く行われている。その起源はイエス・キリストにまで遡れる。何度も改訂された教理(カテキズム)の中に明確に位置づけられているのだ。
 分かり易いように「エクソシスト」や「尼僧ヨアンナ」などの映画の内容をおさらいしながら話が進む。「エクソシスト」はフィクションだが、只のホラー映画ではなく、儀式のやり方などは極めて正統的で教材に打ってつけだという訳だ。
 悪魔祓いを行う際には、本当に悪魔の仕業か精神疾患なのかを見極めて、超常現象的なものしか対象にしないという決まりがあるそうなのだが、最後の方で著者は「結局は精神疾患で説明出来る」と断じており、悪魔祓いをナンセンスと批判するかと思いきや、それでも社会共同体として患者を受け入れ癒す効用はある、と評価する。そこまでの激烈な症状に至った患者を救う方法として、絶対的な悪を措定することで救いに結びつく、と言うのだ。
 ここら辺になると若干、論旨が弱くなるような気もしないではないのだが、人間と社会、個と自由、苦難と救済などに関して示唆的なものを含んでいるように思われる。

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コメント 2

michaela

実際、悪魔祓いの対象はほとんどが精神疾患だそうですよ。それに当てはまらないのがあるのかないのか、100%でないなら・・・??という所がしりたいですが。
この本にも書いてあるかもしれませんが、エクソシストになれる神父は神学、精神医学などの博士号を持った人だそうで、有資格者は日本の司祭にもいるとか・・・。
面白そうな本ですね。
by michaela (2009-05-14 16:31) 

ask

>有資格者
そうそう、かなり厳格な基準があるみたいです。
by ask (2009-05-14 21:06) 

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