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「おっと、実はもうひとつあった!」 [セカンドライフ]

という言葉は、AppleのCEOスティーブ・ジョブズがマックワールドエキスポで講演をする際、終わって退場すると見せかけ、くるっと振り返って発する常套句として(一部の人たちには)有名である。その後で、本当の目玉新商品の紹介がなされるのが通例なのだ。心憎い演出だろう。
 で、その言葉を借りる。
 退職後の生活で時間をかけて〈処理〉しようとしている〈山〉の第一は未読本であることは既に書いた。そして未見のビデオテープについても。
 実はもう一つ〈山〉があった。

 何かと言えば、古新聞の山である。要するに「新聞の切り抜き」で未読のものが山になっているのだ。
 本やテープの山というのは、一般の人にとっても理解しやすいだろうが、新聞となると珍しくて、ヘンに聞こえるのではないだろうか?(マトモじゃない)
 説明しよう。

 数日間の旅行に出かけたりして帰宅すると、その間に配達された新聞が溜まっていることになる。普通の人は全く見ないで捨てるか、ざっとめくってみて要所要所を斜め読みして、やはり捨てるであろう。新聞とはそういう読み方をされるものである。その日のうちに、遅くとも数日以内に読まなくては、そもそも「新聞」の名に値せず、「旧聞」になってしまうのだから。
 要するに新聞とは生ものなのだ。それは十分わかっているのだが、それでもなお私は、〈読まずに捨てるのは耐え難い〉と思う人間で、これはもう〈活字中毒者の業〉とでも言うしかないのだった。それに、日頃から深夜帰宅したりすると新聞をじっくり読む時間が取れず、これも残して後で読もうということになったりして、常に何日分もの未読の新聞が部屋の片隅に溜まっている、というのが常態だったのだ。それを日曜日に一気に消化しようとしてもしきれるものではない。それではどんどん増えるので、省スペースのため「読むに値する」と判断したものを切り抜くことにしたのである。大体新聞というのはやたら広告頁が多いし、スポーツ欄など全く興味がない紙面も多いのでそれを取り除けば1/5くらいになるのだ。
 …てなことを続けて数十年が経過した。自宅で取っているのは「毎日新聞」だが、職場で入手出来る他紙までも毎日複数持ち帰ったりしていて、…以下同文。
 その結果、積み上げれば2mを優に越える古新聞の山が形成されているのである。大半はもう著しく黄ばんでいる。
 勿論上述したように、新聞の「足は早い」から、古くなったら鮮度が落ち価値が無くなるのだが、記事の種類によって腐る速度に大いに違いがある。時事的な政治経済社会面の記事はたちまち腐るが、文化欄や生活欄の記事はそうではない。切り取っておく時にも「これは後から読んでも読むに値するであろう」と思えるものを選んで取ってあるのだ。で、それが厚さ2m(^_^;)
 切り取ると言っても、小さな記事はハサミやカッターでそのサイズにこまめに切るが、やや大きい記事や二面に渡る特集的な記事だったりすると、切り取る手間を惜しんでその頁全体を残してある。だから床を専有する〈表面積〉は1頁を二つ折りしたサイズである。が、小さな記事が間に無数に混じっているので、当然真ん中が盛り上がった山状になる。それらが全く整理もせずにシーケンシャルに積んであるのだ。この固まりは、未整理である故に、「知的生産」のためでなく「知的消費」のためである、と言わざるを得ない。他人が見たらまさにゴミ以外の何ものでもない。私の部屋の中は部分的に殆ど〈ゴミ屋敷〉(あるいは「腐海」もしくは「魔窟」)と化している、と言って過言ではなかろう。しかし、私にとっては、これはあくまでも「新聞」であって「新聞紙」ではないのである。読んだ瞬間にゴミ(=タダの紙)とは化すのだが。

 さて、4月以降のセカンドライフで、ついにこの人跡未踏の山嶺に踏む込むことになった。(一人の人間にとっては大きな飛躍だが、人類にとっては無意味な一歩だ)
 で、なるべく古いのから引っ張りだして読んでいるのだが、勿論腐っていて即捨ててしまうものもあるが、今読んでも読める記事が存外に多いのである。なので、なかなか進捗しない。4月中で約10cmくらいしか進んでいないのだ。てことは全部消化するのにおよそ20ヶ月は要するということか!? 喜ぶべきか悲しむべきか。
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