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〈テッちゃん〉について [サブカルチャー]

 今日、初代の「0系新幹線車両」が引退するとのことで、出発駅の博多は大騒ぎだったらしい。私にとっても「0系」は新幹線というイメージそのものであり、それ以外の、カマボコを削ぎ落としたみたいなのとか、カモノハシの頭みたいなのとか、新しい車種にはあまり親しみを感じず、新幹線と言えば鼻に丸いのを付けたアレしかないので、あれがリタイアするというのは、なんだか寂しいような気がする。新幹線が「夢の超特急」として開業したのは1964年の東京オリンピックの年だったのだから、もう44年も経ったので、引退も当然なのだろうが、それにしても時の流れを感じさせられる。
 で、今日の博多に集まった鉄道ファンの人々、いわゆる〈テッちゃん〉たちについて、思うところを書こう。
 勿論私は〈テッちゃん〉ではない。と言っても決してそういう人が嫌いという訳ではなく、ひとつの趣味としてはあっていいと思っている。
 日本の〈テッちゃん〉を代表する(?)タモリの流浪の番組「タモリ倶楽部」はいつも見ているが、頻繁に採り上げられる「鉄道ネタ」もそれなりに面白く見ている(頻繁でも決してハンザツには感じない)。そのこだわりぶりには「世の中には珍なるものがござるな」という、ちょっと呆れたというか一歩引いた見方ではあるが。
 〈テッちゃん〉と言っても、いろんな亜種があるらしい。もっぱら写真を撮りまくる、時刻表で架空の旅行をする、或いは実際の旅を珍しい順路やレアな路線で行う、車種の違いに異様に詳しい、HOゲージやNゲージの模型を動かす、鉄道関連グッズを集める、etc…。今日のテレビで博多駅の様子を見ていて、意外に思ったのは〈鉄子〉つまり女性の〈テッちゃん〉が結構多い、ということだ。以前なら、こういうオタクな趣味は男性に限定されていたと思うが、最近の女性進出はこの領域にまで及んでいるのか。
 基本的に男の幼児には〈テッちゃん〉が多いように思われる。私の友人たちの息子という、極めて少ないサンプルからの類推に過ぎないが。鉄道に限らず、乗り物には興味を示すのが普通だが、鉄道の存在感は一頭地を抜いているのではないか? なぜだろうか?
 他の乗り物と違うのは、鉄道が線路と車両という2つの要素からなるシステムとしての有り様だ。線路には駅やポイントや橋やトンネルなどの付属物もある。そこを走る車両、それに自分が乗って遠くに行くことが出来るという身近さと、運転士や車掌、駅員といった大勢の人間によって営まれている、という社会性がその存在感を裏打ちする。いわば文明の縮図としての意味合いがあり、そこに子供たちは憧れと頼もしさを感じているのではなかろうか?
 で、大人になってもその気持ちを忘れない〈テッちゃん〉たちは、つまりは童心を忘れない幸福な人たちである、というのが私の見方だ。
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