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「できそこないの男たち」(福岡 伸一) [ノンフィクション]

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

  • 作者: 福岡伸一
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/10/17
  • メディア: 新書
「生物と無生物のあいだ」が大ベストセラーになった著者の新作である。これも売れているらしい。前作ほど「最先端」の領域の話ではなく、高校の「生物」の教科書レベルで、自分にとってはあまり新しい知見は無かった。とは言え、漠然と思っていたことを明確に整理してくれているという意味はあった。
 「人間は女がモトで、男は女があとから加工されてできあがった」ということは既に、多田富雄氏が「生命の意味論」で書いている(らしい)。または「女は存在、男は現象」とも言っており、名言とされる。そういう意味でもこの本は「新しさ」は無い。だが、この本ではその辺を詳しく、受精から発生の過程を追うことで明瞭に描き出す。高校生にも分かる書き方で。
 Y染色体の中のどの部分が性差を決定し、男を作るのか、に関するゲノム研究の(競争の)歴史が振り返られる。SRY遺伝子という真犯人が見いだされる過程はなかなかにスリリングな展開だ。
 特に印象に残るのは、発生過程で女性器の元であるミュラー管の出口の〈割れ目〉が一旦出来た後、それを縫合した痕が陰嚢の縫い目「蟻の門渡(とわた)り」であるということで、なるほどー!と思った。男に乳首があるのも頷ける。
 生命は基本的に雌であり、遺伝子のミキシングによる多様性の確保をなすために、使い走りの遺伝子の運び屋として雄を作ったに過ぎない、と。無理に改造したもんだから、男は弱い(寿命が短い、病気になりやすい)のだ、というわけだ。非常に説得力のある話である。ドーキンスの「遺伝子の乗り物」説とも符合する。
 そんな男がなぜ社会的に支配権を握ったのか、に関する仮説も面白い。使い走りで生殖だけで用済みだった男に他の使い道(食料確保など)があることに気づいた女が、そういう奉仕をさせることになったわけだが、そこに〈余剰〉が発生し、それが蓄積され、交換価値を持ち、権力の元となったと言うのだ。これはなかなか面白い見解だ。人間は生物の一種ではあるが、それを越えた次元にまで進化した、と言えるのかも知れないが、いやそれも含めてあくまでも生物的バリエーションだと言うべきなのかも。
タグ:進化 生物学
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