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「ケータイ依存症」または「ケータイ地獄」について [世の中]

 私はケータイをあまり使わない。メールもやらない。ところが、新聞やテレビで見聞するところ、また電車内や街頭で見かけるところでは、世の中の若い人、特に子供たちのケータイの使用量はとてつもないように思える。
 それも殆どがメールに使っているようだ。多い子では1日に100通以上もメールを出しているらしい。聞くところでは、受け取ってから5分以内に返事を出さないといけない、というような風潮もあるらしい。メールとは本来、自分の都合のいい時に読み、書けることが最大のメリット・機能である筈なのに、これではまるで〈メールに使われている〉つまり絵に描いたような「人間疎外」の状況ではないか。なんとも倒錯的な事態と言わざるを得ない。これは殆ど「地獄」である。
 ことここに至っては今更無理かも知れないが、あえて言えば
【未成年者にメールは禁止】
すべきではないか?
 大体、子供が何でメールなんか使う必要があるのか、極めて疑問だ。百害あって一利なし、とまでは言わない。一利くらいはあるだろう。しかし残り99は害と言って過言ではない。他愛ないメッセージしかやり取りしていないのだし、メールや学校裏サイトを使った〈いじめ〉が横行しているようだし、食事中にも、また深夜に及ぶまでメールをやり取りするなんて異常である。当の本人たちがストレスを感じ、メールなんか無ければいいのに、と内心思っている子供も多いようだ。それをやり続けるのは、〈仲間はずれになることへの恐怖〉以外の何物でもないだろう。宮台真司が「今の子供はいじめに遭わないように必死で、それに心的エネルギーの大半を費やしている」と言っていたが、まさに愚かとしか言いようがない。ITがもたらす情報流通の利便さは、ヒトの自然な発達過程の態様を遥かに越えてしまっている。

 ついでに言えば、パソコン(によるかな漢字変換)の使用も義務教育修了以前の児童生徒には不要であり、使わせるべきではない。漢字は手で書いて覚えるものであり、安易にかなが漢字に変換できてしまうことは、漢字の真の習得を妨げる。かな漢字変換により大人も漢字が書けなくなって来ているが、書けるようになる以前の子供がかな漢字変換を使いこなすことは不可能であって、こんなものを与えるのは反教育的であり、一種の児童虐待と言っていいのではないだろうか。
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アヨアン・イゴカー

私は携帯電話を持たないので分かりませんが、携帯依存症らしき人間は電車の中、路上でしばしば見掛けます。電車の中では、混み出したら読んでいる本や雑誌は読むのを止める、それが普通だと思います。が、そんな中でも平然と携帯の画面を見えるように手を突っ張っている人々が結構います。これは年齢や性別に関係ありません。或いは携帯電話だけでなく、ゲームに没頭しているものも気になります。やっと空いた席に、ちょっと好例の女性が坐ろうと動き始めているのに、そちらを見ようともしないで、自分が坐る為に突進する。そして、ゲームの画面を食い入って見ている。

私は携帯電話ばかりでなく、このパソコン、IT化、OA化など、人間の本来の生命力を奪ってしまう傾向が心配です。子供は何としてもこの脆弱化から守られねばなりません、将来があるのですから。
by アヨアン・イゴカー (2008-09-20 22:43) 

ask

アヨアン・イゴカーさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
確かに車内での携帯マナーには顰蹙ものが多いですね。メールを入力したり、ゲームしたりするのは本を読むより能動的な行為のため、没頭度が上がって周りのことが意識されなくなる傾向が強くなるのかも。

>人間の本来の生命力を奪ってしまう傾向
一頃テクノストレスという言葉が流行りましたが、最近あまり聞かないような…。対策が進んでいるとは思えません。むしろ異常の日常化が進行しているように感じます。
…などという話をこうしてパソコン使って書いてるのもヘンですが。
by ask (2008-09-22 00:06) 

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