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「野間宏作品集〈1〉暗い絵 崩解感覚」 [小説]

高校生の頃読んで記憶にかなり強く残っている作品に、野間宏の「地獄篇第二十八歌」と「顔の中の赤い月」という二つの短篇があった。どちらも新潮文庫「暗い絵・崩壊感覚」というタイトルの短編集に収めてあったものだと思う。
 で、最近になって、その昔読んだ本を読み返してみたいという気持ちが起こり、この作品の入っている作品集を図書館の蔵書検索で見つけ借り出した。開架にはなく書庫に入っていたのを出して来て貰ったのである。

野間宏作品集〈1〉暗い絵 崩解感覚

野間宏作品集〈1〉暗い絵 崩解感覚

  • 作者: 野間 宏
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1987/11/06
  • メディア: 単行本


 「暗い絵」
 これをまず読んでみた。冒頭に収められていて、最も古い(1946年4〜10月)作品だから。読んだはずなのにあまり記憶に残っていない。冒頭の絵の描写はなんとなく憶えていたが。
 ブリューゲルのグロテスクな絵の描写から始まるこの短編は、戦争直前の頃の左翼学生の日常の中の活動と生活の苦悩と希望を描いて鮮烈だ。絵の描写自体の、強固に固着粘着するような、詳細で深くえぐるような透徹した目で観察され、自らの生や性のあり方と照応して魂に深く入り込んでくるような稀有な絵画のディテールと存在感の描写が凄い。

「二つの肉体」
 これは初めて読む。戦時中の大阪、思想犯として逮捕が近い男と、その恋人で関係が悪化、ぐらついて別れ話が生じている二人。性欲のあり方の男女の違いもあろうが、ここに描かれるのはむしろもっと観念的、思想的な次元での理屈のこね合いのような、不一致、不調和、行き違い。
 それにしても、逢っている時の表情や仕草のきめ細やかな〈意味ありげさ〉の過剰な描写は他にあまり類を見ないような気がする。これは他の作品にも言える。〈無残なセックスの濃厚な描写〉も同様で、この粘着的な文章作法は野間文体と言えるのか? いやもっと「方法的」なものに思える。

「顔の中の赤い月」
 フィリピンの戦場(つまり大岡昇平の「野火」と同じ場所)で九死に一生を得て復員した男(かつて自分に無償の愛を与えてくれた女に冷たくした悔いの念から自罰傾向になっている)と、かつて熱愛し幸福な新婚生活3年間をともに過ごした夫を戦死で失って喪失感に苦しむ(その傷が美しい顔のあり方に顕れている)女との出会い。が、決して互いに補い合うことなど無く、心は近づきもしない関係。
 かつて読んだ記憶では、女の顔に浮かび上がってどんどん大きくなる〈赤い月〉(南の戦場で見た月の印象)が、異様にホラー的雰囲気を醸し出していたのだが、読み返すとそんなこともなかった。
 それにしても、戦争の惨禍の描き方としての、戦後社会の中にあって深く続く克服しがたい苦悩というパターンが、ここにも確かなものとしてある。

「崩壊感覚」
 表題作でもあるのだが、読んだ記憶はない。せっかくなので読むことにした。ちょっと長めの58頁。同じアパートに済む学生が首を吊って自殺するという非常事態で始まる。一方で、互いに愛の無い恋人との肉体を貪り合うだけの関係の描写。そして、「崩壊感覚」とは、戦地でのトラウマ(初年兵の辛さから手榴弾自殺を試みて左手の中指と薬指を失った)により繰り返し襲い来る、自分の体全身がねじれひしゃげ崩れていくというおぞましい幻覚のこと。
 これにしろ、「顔の中の…」にしろ、PTSD(という言葉はまだ無く、病理的対象化はなされていなかったであろう時代であるが)の猛威を的確に描写しており、その洞察力は体験者としての実感であるとともに、文学的想像力の強さの表れでもある、と思う。

「地獄篇第二十八歌」
 この作品の前半というか大部分(男女間の性関係、壊れて憎しみ合う不毛な関係、乖離した心と別に性欲のみが亢進し、肉欲のみの情交に至る)については、すっぱりと丸々忘れていた。
 最後の〈自分の首を提灯にして吊り下げて歩き回る、ダンテ「神曲」に登場する地獄の亡者〉の幻影シーンの強烈な恐ろしい場面だけを鮮明に憶えていた。この亡者は、エゴイストの成れの果てであり、自分のことしか考えず、自我への執着にのみ生きる存在であり、それは畢竟、自分自身を自分のための道具とすることと説かれている。この部分が強烈な印象を残したのだった。単に「見るも無残で哀れな亡者」と他人事として捉える訳にはいかず、自分もそのエゴイズムの要素をかなり多く持っているという自覚があればこその衝撃だった。
 それはグロテスクな虚無であり意味の喪失である、と思った。自分のために自分を利用する、そこには円環になってまわり回って空転する無しかないだろう。
 ここで思い出したのが、孫引きになるが、三浦綾子の「氷点」の中で聖書から引用された「人が死んで残るものは、その人が得たものではなく、与えたものである」という言葉だ。エゴイストは得ることしか考えず、与えることはしない、のと対をなしている。キリスト教もなかなか深い。


 以上でこの作品集の半分ほどを消化したのだが、返却日が来たのでやむなくここまで。野間宏は、以上の作品しか読んでおらず、代表作の「真空地帯」や「青年の環」は読んでいない。特に読む予定も組んでいない。


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