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「オジいサン」(京極 夏彦) [小説]

京極夏彦氏の作品(「死ねばいいのに」は凄かった)なので、かなり期待していたのだが、それほど目を剥く出来ではなかった。

オジいサン

オジいサン

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/03/10
  • メディア: 単行本



 タイトルのとおり、高齢男性が主人公なわけだが、京極作品にしてはひねりが無い。ストレートに老人男性の日常を淡々と綴っている。まぁ心理を穿った描写は相当あるのだけれど。

 自分自身がこの境遇に近づいているので、最近はいわゆる「老境小説」に関心が湧いてきている(なので振り返ってこのブログのいくつかの記事にこのタグを付けた)のだが、一時期小松左京がこの老境小説に凝っていたことがあって、なかなか読み応えのある深みを感じたものだった。この小説に手を出したのもその流れの中でのことだった。

 生涯独身の72歳の独居老人のある連続した7日間、その毎日の内の1時間ほどの切り取られた生活の断片が一人称で描かれる。各ページにはご丁寧に時計表示が印刷(ページごとに数分進む)してある。朝だったり昼間だったり夕方だったり、それぞれの出来事にもとりとめのない日常なりに一応変化を持たせてある。
 事件らしい事件は起こらない。無職で時間の有り余った、ごくありきたりの日常の些事(散歩、買い物、炊事、訪問者など)と、その状況に伴う心象風景、内面の動きが細かく記述される。体力知力の衰えがかなりあり、記憶力も減退して、思考が堂々巡りを繰り返す、そのもどかしさ情けなさ、ある種の焦燥感と諦観が直截に描かれる。
 …こう言えばわかると思うが、まぁなんとも陰々滅々な小説である。面白くもなんともない。が、2009年から10年にかけて書かれた作品で、当時はまだ50歳にも達していない作者(1963年生まれ)が、これだけ真に迫った老人の心理描写が出来るのはさすがである。いちいち頷ける心の動きなのだ。まぁ凡庸さを絵に描いたような〈典型的な老人〉なので、大方は常識的に推測できる範囲ではあるところが、京極氏にしてはイマイチとも言えるが。

 と、どうにもありきたり感が強くて、若干辟易させられるのだが、雑多で筋の無いように見える中にも一つのテーマが浮かび上がってくる。
 実は「オジいサン」というタイトルにもなっている言葉の〈響き〉に拘泥している7日間でもあるのだった。最初の日に、公園でベンチに置き忘れたものに注意を促すために、近くに居合わせた小さな子供から発されたらしき呼びかけの言葉の響きが、こういうカタカナの間にひらがなが1字だけ入った表記で表現される、と感じたと言うのだが、わかったようなわからないようなもどかしさがある。カタカナとひらがなで、響きや語感を表現するのはかなり難しい。客観的な基準が無いし音韻論的な説明もなされない。
 なぜか、このときの言葉の響きが心に引っかかって、その後の日々に耳にする色んな人からの呼びかけとしての「おじいさん」や「お爺さん」などと違うということに拘り続ける。
 それはおそらく〈親しみといたわり〉のような温かみのある響きだったのだろう、というのは何となく分かるように書かれていて、それは最後で明かされることになる。一種の〈救い〉が立ち現れる。この終わり方はなかなか良かった。
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