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ハイパーテキスト不感症候群に関する考察 [言葉]

こういう病名が浮かんだ。
 どういうことかと言うと、So-netリニューアル後に導入された例の「キーワード広告」について以前書いた「So-netでの広告氾濫状況」の関連で思ったことである。
 あれから一ヶ月以上も経ったのに、いまだにこれを表示設定状態にしているブロガーが非常に多いのが目につく。記事文章自体は極めてまともで、読むに値する立派な有意義なもので、尊敬出来る人なのに、「そのまんま表示」にしている人がいーっぱい居る。
 信じられなーい!! なんなんだ、これは! 彼らはなぜ、かようなものを放置しているのか? それを考えてみたい。

 件の記事で私は、
>あんな余分な営利目的のおぞましいものを自分の大切な場所に置いて汚させる気は毛頭無い。
>正直言って、あんなものを表示設定している人の気持ちが理解出来ない。ま、美意識は人それぞれなので、これは批判ではなく感想に過ぎず、設定は各人の不可侵な自由なのだが。

と書き、duznamakさんは「全面的に同意」の上で、
>各種のハイパーリンクを含めて「自分の文章」なわけで、それを他人様に(あるいは他コンピュータ様に)勝手に弄くりまわされるのには、耐えられません。

とコメントしてくれた。我が意を得たり、だった。と言うか、それが普通の、文章を書く人のごくまっとうな感覚ではないのか、と思う。
 ところが、彼ら【広告載せっぱなし】の人々はそういう発想をしていないのは明らかだ。どういうことなのだろうか? 考えられるのは、

1)彼らは書きっぱなしで自分のブログを見返したりしない
 自分のブログを書いた後で、それを画面で確認すれば容易に気がつく筈で、これはあまり考えにくい。ま、中には"WOM"(Write Only Member)なんていう人種も居るかも知れないが、コメント受け入れ可にしていて実際コメントのやり取りもなされてたりするので、見返さないことは殆どあり得ないだろう。

2)そもそもコンピュータリテラシーの不足から、表示設定の変更など思いもよらない
 なんかヤだなー、とは思いつつ、これがSo-netの仕様なんだろうと思い、そのままにして耐えている、というケースだ。こういうのはあり得ると思う。(一種の若戸蘭さん)
 でも敢えて言えば、そういう人は自分の文章表現に対する思い入れが足りないんじゃないか? 他人のブログを見れば、〈表示なし設定〉はあり得る、ということに当然気がつく筈であり、ならばなんとかしてその方法を見いだそうとする筈ではないか? 自分の書いた大事な文章をこんな風に汚されてもしょうがない、なんて思っている人は、所詮自分の文章を軽く捉えている、ということにはならないのか?
 だったら、そういう文章の重みは書き手本人が低く評価していると言うことであり、そんなものは読むに値しない、という判定を下す材料になる、と言える。実際私はこの評価基準に従って読むのをやめる場合が結構あるし、概ねそれで「当たり」だと思える。(但し、上述したように、内容的には素晴らしいものが多くあるのが、やはり不思議なところなのだ)

3)そもそもハイパーテキストなるものを知らない
 これもリテラシーのうちだが、ハイパーリンクというものが基本的にわかっていない、というちょっと信じられない状況だ。勿論、普段インターネットを使っていれば、画面上の〈ボタン〉や〈アンダーラインで示されたリンク〉を押すと、そこに跳ぶということは知っている筈だが、自分の文章中にそんな仕掛けが施されるなどとは夢にも思わない、と。いや、しかしそんなケースは殆ど無いだろうとは思うが。

4)積極的に喜んで受け入れている
 広告収入e-Couponで潤う、一部の恵まれた、いわばネット内勝ち組の人たちである。これに対しては「羨ましい」としか言いようがなく、「儲かりまっか?どうぞ存分に稼いで下さい」と言うだけだ。

 ところで、この記事のタイトルにただの「〜不感症」でいいのに「〜症候群」と「群」を付けたのは、ま、おどろおどろしい表現が好きな私の趣味なので、あまり気にしないで欲しいのだが、ただ、ことはそう単純な問題ではなく、「群」という多面的な現象の現れにつながりかねない状態ではないかとも思ったので、という要素もある。
 ハイパーテキストというものは、最近になって実現普及した〈書き言葉〉上の大変革だと思う。その萌芽は「注」という形態で昔からあった訳だが。それがコンピュータ上のソフト処理で際限ないリンクが可能になったわけである。
 そもそもテキストは一次元のものである。二次元の紙の上に書かれてはいても、本来最初から最後までただ一方方向に読み進むだけの単純な文字の連なりだ。長い紙さえあればどんなに長大な小説でも1枚の紙に載せられる。
 こういうテキストの持つ基本的な性質の発想から離れられない人が「ハイパーテキスト不感症」と言える。その症状は、
●ブログの自分のテキストを弄られても平気
●自分の文章に他へのリンクを入れるなどという発想を全くしない。
●リンクしたものを含む重層的な文書というものを発想し得ない、書かない。
●ネット上で本文中に仕掛けられているリンクを押して別ページに跳ぶ、ということはしない。(ホンマかいな?)
などの「症候群」を示すのではなかろうか? などというのはかなり無理めな展開かな?

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michaela

ソネブロを始めた頃、勝手に関連記事をつけられてしまう機能が鬱陶しくてたまりませんでしたが、いつの間にかなくなりましたね。

広告も自分で排除できるとわかってからはつけない設定にしました。大体、人の記事を勝手に利用しようとするのは失礼だと思います。
ウザイと思っても、あきらめる人、調べて手立てを講じようとしない人も多いのでしょうね。
by michaela (2008-04-07 12:21) 

ask

>人の記事を勝手に利用しようとするのは失礼
ですね。
利用規約では、それを認めたことになってるのかも知れないけど。
 なんて書かれているか、ちゃんと見てない方が悪い、と言われたら、「そんなわかりにくい規約は掟破りだぞ」と言いたくなりますよね。
by ask (2008-04-07 23:51) 

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