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「病む月」(唯川 恵) [小説]

病む月 (集英社文庫)

病む月 (集英社文庫)

  • 作者: 唯川 恵
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 文庫

唯川 恵の小説では、以前直木賞を取った「肩越しの恋人」を読んだことがあるだけである。それの内容はきれいさっぱり忘れてしまい、殆ど思い出せない。大体恋愛小説などは滅多に読まないのだが、まぁたまには趣向を変えて、というより、この短編集は〈マトモ〉な恋愛小説ではなさそうだったので、読む気になったのだ。文庫になったので、というのもある。数年前に単行本で出た時にも実はちょっと興味を魅かれていたのである。題名から分かるように「病的」つまりその〈マトモでなさ〉に、なのだが。
 で、期待は裏切られなかった。どの短編もそれぞれ全く違った、様々な女の「病的」な人生を描いていて、実に面白い。恋愛小説というより、ホラーだったりミステリーだったり、そっちの領域の方が近い。あるいは異常心理小説。もしくは「異形コレクションー恋愛篇」
 大体〈恋愛小説〉というジャンルにおいては、男性作家よりも女流作家の方にはるかにアドバンテージがあるように思われる。女にしか女の心は分からない(男にとって女は「存在論的他者」)のだから、当然と言えば当然かもしれないが、〈恋愛〉というのは男女双方がそれぞれに営むものなのだから、〈恋愛〉というものの描き方において作家の能力が男女で違い、女が優位であるのはどうしてなのか?という疑問があった。女にだって男の心は分からない筈で、お互い様ではないか?と。
 思うに、その違いは「プロとアマ」の違いに近いような気はする。女は恋愛のプロであり、男はアマチュアである、と。「女の命は恋だから、恋に溺れて流されて…」という歌があったと思うが、これは結局、今までの男性優位社会のもたらす女の依存的立場にその淵源があるのではなかろうか? つまり、いかに強い男をたらし込み、安定した生活を獲得するか、ということが女の生殺与奪の権を握っていたために、恋の手練手管を磨くことが女の本性となったのではないか?このため女は恋愛のプロとなったのだ、と。
 だとすれば、女流の方が男性作家よりも〈恋愛小説〉において優れているのももっともだということになるが、概ねそういう文才はいわゆる「純愛」の世界を描くことが多いように思われる。〈恋愛小説〉は基本的に「純愛小説」である、のがデフォルトであろう(不純な恋なんか描いても誰も感動なんかしないだろうし)。といっても〈恋愛〉の起源自体が、上述したようにいわば〈保身〉(あるいは利己的遺伝子の生存戦略)目的に由来するとしたら、「純愛」のどこが「純」やねん!?ということにもなってしまうのだが…。いや、実は「純愛小説」では恋愛の本来的機能である打算や功利を超越した、それこそ無私の一種宗教的境地を描くことが多いようなので、むしろ「純愛」は女の恋愛機能の暴走あるいは誤用もしくは錯乱、なのかもしれない。
 さて、翻ってこの短編集はその逆の「不純愛小説」集である。いや一部は「純愛」と呼んでもいいようなのもあるが、大体が「病的」で「異常」で「ヘン」である。その一種珍奇さがちょっと下世話な興味深さを醸し出す。こういう変則的な愛の世界は、やはり女にしか書けないのではなかろうか。男は単純でロマンチストなので、「女はけなげで強く逞しい」的な先入観を持ちがちなのだが、どうしてどうして、同性である女流作家が描く女の病的な諸相はなかなかに異様であり、迫力がある。結末が読めてしまうのも何作かあったが、全編面白く読めた。


タグ:恋愛小説
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