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「ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死」(稲泉 連) [ノンフィクション]

ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死 (中公文庫 い 103-1)

ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死 (中公文庫 い 103-1)

  • 作者: 稲泉 連
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 文庫

〈大宅壮一ノンフィクション賞〉2005年受賞作品。(最年少受賞25歳)
 著者は1979年生まれ。高一で中退し大検から早大第2文学部卒。
 まず、こんな若い人が、あの戦争で死んだ兵士にこれほどまでこだわったのにちょっと驚いた。竹内浩三という詩人を知る人は少ないだろう。私もこの本を読むまで知らなかった。戦死しなければ大詩人になっていたかも知れないほどの才能があったようなのだ。(私は韻文はからっきしダメな散文的人間なので、はっきり言えないが、それでも、この中に採録されたいくつかの詩には光るものを感じる)
 著者は、23歳の若さでたまたまこの詩人の作品に触れて、同じ年で死んだということもあったのか、強く魅かれ、その生と作品と死を辿ろうと、探索の旅に出、遺族の実姉や遺稿集を編んだ人達を訪ね、次第にその人生が浮かび上がって来る。それは当然、あの戦争という遥か遠い、自分とは全く無縁だったことと向き合うことになるのだった。
 出久根達郎氏は解説で「戦争を知らない世代が、どのような形で戦争を知るのか、本書はその良き見本でもある」と書いている。
 それは「英霊」などという勇ましいものでは全くなく、国家の巨大な波に巻き込まれて、芸術(映画や漫画)への志を閉ざされ、人殺しの道具を持たされて、飢えに苦しみながら「けものの道に死」ぬことを強いられた一無名兵士の魂への、時を越えた哀惜の念である。
 実は私の叔父(母の弟)もまた、同じくらいの年で戦死している。(晩年、認知症になって寝たきりになった母に、あるとき「僕が誰だかわかる?」と訊いたら、母はその年の離れた、幼少時に可愛がっていた叔父の名を口にした。)昔の黄ばんだモノクロ写真とともにその叔父の話は時々聞かされていた。それはこの本の中に載せられた竹内浩三の幼い頃の何枚かの写真、その時代的な雰囲気と通じるものがある。そういう点では私はこの著者よりはほぼ1世代近く、あの戦争には近いのだ。勿論私も戦後生まれで「戦争を知らない」世代ではあるが、子供の頃から親や親戚の人から戦争の話は「ついこないだ」の出来事として何度も聞かされていたし、本や映画やドラマなどでも知る機会は多かったから、「戦争体験の継承」はそれなりに身に付いていると思う。
 なので、まだ20代の若い人がここまで真摯にあの戦争に向き合ってくれているということに感心したし、頼もしくも感じた。
 石井聖岳という画家の描いたカバー画は児童画タッチだが、実にこの竹内浩三の人物/雰囲気に合っているように思う。少し不良っぽくてちょっと弱っちくて、飄々としてしかも情愛と世界への愛を抱いた若者という…。


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