「ヘヴン」(川上 未映子) [小説]
「乳と卵」しか読んでいないが、川上未映子は某芥川賞選考委員にdisられたという、その一点をもってだけでも評価・注目に値する作家である。
で、今回のこの小説、確かにその某委員にはぜーったいに理解出来ない作品であろうということもわかる。もっと早く読むべきだった。
《いじめ》問題は、常にそれに直面しているわけではない自分だが、しかし、常に心の片隅に引っかかっているマターだ。それは人間存在の根幹に関わる険しい、存在論的なレベルにまで達する問題だ。人間の醜さ、愚かしさ、救いようのなさ…。
この作品はそれを考えるのに、取材など一切無く、自分の頭の中で構築した(と、「週刊ブックレビュー」のインタビューで答えていたのを思い出す)、一種絵空事的で不自然な、「作り物」の要素はある。しかし、それは「ご都合主義」などというものではなく、フィクションが持ち得る真実を紡ぎ出していると思えた。
百瀬という傍観者的なニヒルな登場人物との対話は、ドフトエフスキー的な悪魔との対話を想わせる。
一方で、「弱さ」ゆえにいじめを受け続けることの「強さ」、これは衝撃的だ。
エンディングの、視界が開け輝く世界の中に立って、いや増す喪失感が凄い。カタルシスはないのだが、じわじわと染みこんでくる、迫力が持続する作品だった。
で、今回のこの小説、確かにその某委員にはぜーったいに理解出来ない作品であろうということもわかる。もっと早く読むべきだった。
《いじめ》問題は、常にそれに直面しているわけではない自分だが、しかし、常に心の片隅に引っかかっているマターだ。それは人間存在の根幹に関わる険しい、存在論的なレベルにまで達する問題だ。人間の醜さ、愚かしさ、救いようのなさ…。
この作品はそれを考えるのに、取材など一切無く、自分の頭の中で構築した(と、「週刊ブックレビュー」のインタビューで答えていたのを思い出す)、一種絵空事的で不自然な、「作り物」の要素はある。しかし、それは「ご都合主義」などというものではなく、フィクションが持ち得る真実を紡ぎ出していると思えた。
百瀬という傍観者的なニヒルな登場人物との対話は、ドフトエフスキー的な悪魔との対話を想わせる。
一方で、「弱さ」ゆえにいじめを受け続けることの「強さ」、これは衝撃的だ。
エンディングの、視界が開け輝く世界の中に立って、いや増す喪失感が凄い。カタルシスはないのだが、じわじわと染みこんでくる、迫力が持続する作品だった。
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