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「雨の裾」(古井 由吉) [小説]

昨年8月に読んだ「鐘の渡り」に形式的(連作集)にも内容的にも続く作品。その世界はますます深まっている。

雨の裾

雨の裾

  • 作者: 古井 由吉
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/06/11
  • メディア: 単行本


 ストーリーと言えるほどのものはない。いくつかのエピソードをめぐる回想が主なのだが、記憶の時間線が混乱している。何時のことだったのか、前後関係もはっきりしない。さらには主体さえもあやふやになる。惑乱あるいは錯乱に近い。身体的・暴力的な発作はないのだが、老化はさらに進んでいわゆるボケが始まっているとしか言い様がないのだけれど、勿論普通のボケとは違う。

 稀代の文学者の文学的創作的格闘の余力をいまだ残しつつの、壮絶な実践としての一種の記録でありかつ、《ボケのフィルター》を介して、個人的な経験の私小説的記憶がむしろ脱色され、ボケ(ぼかし)を加える事によって細かなディテールの意味あいは消え去り、拡散的にむしろ一般化・普遍化されるという、不思議な効果が発生した、という印象を持った。

 それは「老境小説」などという長閑なものではなくなっている。「老境〜」と言うと、人生の稔りの時期の、穏やかにして満ち足りて過去を回顧し、未来に思いを馳せる、豊かな収穫と満足感に満ちた充実の境地、といった印象が強い。例えば「耄碌寸前」(森 於菟)がそうだった。対してこの作品は「耄碌小説」と言う方がいい。それにしても、耄碌の心情、頭の中の動きをこれほど詳細にかつ生々しく、かつ詩的に表現した日本語表現というのはかつてあったのだろうか? とてつもないものを感じる。
タグ:老境小説
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