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「死はこわくない」(立花 隆) [ノンフィクション]

がん患者で闘病中、という自分の今の状態に向いているだろうという気がして、

死はこわくない

死はこわくない

  • 作者: 立花 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/12/05
  • メディア: 単行本


これを図書館から借り出した。

 以前から立花隆は別の著作だったかテレビのNHKスペシャルだったかで、このタイトルと同じ趣旨のことを述べていた。だから目新しさは全く無く、今更また読むの?感はあるのだが。

 3章に分かれている、と言うより、もともと「週刊文春」や「文藝春秋」に掲載された別記事(に加筆修正?)なのであった。

 中心は書名にもなっている第1章である。
 そのエッセンス的部分を引用すると、
「死生観を持っていないと、あらゆる問題に答えようがない」
「自殺・安楽死・脳死、すべてがひとつの問題群」
「自分(立花)は哲学的&科学的世界観の無宗教」
「死後の世界は個々人の情念世界の問題で、科学的答えは無い。→語りえないものについては、沈黙するしか無い(ヴィトゲンシュタイン)」
「体外離脱は自分の身体を認識する脳内モデルが崩壊することで起こる」
「いざ死の危機に直面すると、その状況を把握したり、その対応に駆けまわったりするのに精一杯で死を心配してる余裕なんて無くなる」
「象のように(墓場へ一人で行って)死にたい」
「いい臨死体験をするには、ベッドを暖かく居心地よくしておく必要があるらしい」


 以前テレビでは「死ねば死後の世界が本当にあるかどうかを実体験できるので、死ぬのが楽しみな面もある」などと喋っていた記憶があるのだが、この本ではきっぱりと「臨死体験は脳の生み出すもの」と断定している。

 それでも敢えて「死ぬのはこわくない」という境地に至ったのは何故なのか? はっきりとは明示されていないのだが、年齢、ガンと心臓病という二つの大病の経験、ワークとライフの成功や充実ぶり、名声など様々な理由が複合しているのだろう、と推察する。そういう意味では平凡な普通の人々に対する説得力はあまり無いかも。
 しかし、世俗的満足度と死への恐怖はあまり関係ないとも思える。エッセンスは平凡人でも享受できる、と私は受け止めよう。

 「第2章 看護学生に語る『生と死』」では、看護という仕事の厳しさと意義について熱く語っている。

 「第3章 脳についてわかったすごいこと」で、意識というものについての研究の進展に触れている。電気信号系だけでなくウェットな化学物質系の働きも併せての研究や、夢(明晰夢を介して)の研究など。
 が、中身はあまり「凄いこと」は書かれていないw

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