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2度目の手術入院記 [セカンドライフ]

前回の「がん闘病の現況つづき・2」で書いたように、PETで特定されたがん細胞のリンパ節転移位置を切除するための手術を受けるべく、3月25日に入院した。

 この日程、当初予想(4月に入ってから)より意外に早まった。必要性・プライオリティの評価が、並み居る入院予定患者の中で上位に来たのかも知れない。
 以下その様子を詳しく書くが、これはあくまでも自分とごく一部の親しい友人に読んでもらうためのもので、そうでない人にとっての一般的な文章価値は殆ど無いので、スキップすることをお勧めする。

(実は手術後に、薬の向精神薬的副作用による影響と思われる現象が起こったのだが、これだけは一般の方が読んでもそれなりに面白いかもしれないので、それは別記事にまとめることにした。そちらを参照されればよろしいかと。)


【3月25日(水)】
今回も当然iPhoneと充電器は持参する。加えてiPadminiも。10時ちょうどに病院に着き受付、その後病棟へ。4人部屋の、またしても窓側でないベッドでがっかり。閉塞感がまるで違うのだ。
 採血、身長、体重、血圧、体温計測、へそゴマ掃除(オリーブオイルを綿棒につけて)、剃毛はなし。担当医からの明日の手術の説明。身長は167cmほどあったはずが165cmちょっとしかなく、ショックだった。そんなに縮んでしまったのか!と。しかし考えてみると、かつては髪の毛がふさふさだったのに今や抗がん剤の副作用の脱毛による薄毛で地肌が透けて見えるほどになっており、この髪の厚さの分だけ身長が減ったように見えるのではないか? 2cm減の全てがそれで説明できるわけでもないだろうが。
 配膳された昼食(白魚のムニエル)食べ、シャワーを浴び、2時からレントゲン、心電図、呼吸機能検査など、異常なし。
 麻酔科医師が病室訪問して、リスクに関する説明をする。脅してるのか!ってくらい次から次にいろんな危険性を言いたてられて、ウンザリした。インフォームドコンセント的意味合いより、「責任回避」じゃないのかという印象が強い。
 夕飯は無し。飲水も10時以降は禁止というので、その前に缶コーヒーを飲む。Twitterをやったり、本を読み始めるが、はかどらず前夜寝不足だったせいもあり、9時には入眠。

【3月26日(木)】
明け方4時ごろ一旦目覚めるがすぐにまた寝てしまい7時近くに起床。あまり熟睡感は無い。
 10時からオペ手術着に着替えて、地下階まで降りて手術室に入る。麻酔医がまた過干渉なくらいいろんな薬を説明する。
 麻酔はすぐ効いて意識が無くなる。手術中(4時間に及んだ。リンパ節に絡む血管が多くて、傷つけないよう慎重を要するためと聞いた)のことは一切覚えていないが、呼吸器の挿管を抜く時?に暴れたと後で聞いた。
 リカバリー室(ナースステーションに近い場所)に入ったが、腹が猛烈に痛い。前回の大腸切除した時よりもずっと激しい痛み。ベッドから起き上がろうとしても激痛で全く動けない。導尿管やいろいろな管が不快。眠れず、動けず、眠れずをくり返して消耗する。もうこんな手術は嫌だ、と思った。「高齢者は体力的に手術は無理」と良く言うのはこの痛みのこともあるのではないか?
 しかも今回開いた腹部正中線は前回と全く同じ部分であり、なぞるように再度切り開いており、さらに前回(臍の上3cmくらい)よりもさらに上に向かって6cmくらい長く切り開いているのだ。これはつまり、目的のリンパ節2箇所のうち上にある方の位置が、それだけ切らないと届かないためだ。
 安眠なんてできるわけなく、それでもうつらうつらしながら一夜を過ごす。

【3月27日(金)】
不快な目覚め。昨夜は殆ど眠れなかったので、その反動で眠くてしようがない。
 腹の痛みは痛み止め薬でだいぶ良くなって、起きる練習をしたりする。やがて立ち上がって歩けるくらいにはなった。動いたほうが良いと言うので、腹をかばってやや前かがみになりながら、敢えて病棟内一周散歩をする。売店へも行く。Twitterや読書(「東京自叙伝」・奥泉 光)も少しやるが疲れて長続きしない。時間感覚が変になって、やたら進み方が遅く感じた。
 夕食(全粥)が出た。酢豚風、なめたけおろし、わかめスープ、みかん。前回は消化管自体を切除したので、禁食期間は長かった(3日間くらい?)が、今回はそっちには手を付けていないので禁食はすぐに解けたわけ。食欲もあり、完食。

【3月28日(土)】
前夜、10時頃就寝したのだが、隣のベッドの人の鼾が異様に凄くてなかなか眠れなかった。10〜20秒くらいで様相パターンが全く変わってしまうという、「今まで経験したことの無いような」珍しい鼾だ! 音量はそんな大きくないけれども、あまりのバリエーションの豊富さに興味が沸くとTwitterにも呟いた。(しかし、これはもしかして幻聴なのではないか?という気があとになってして来た。これについては別記する)
 朝は6時頃起床。
 昨日読み始めた「東京自叙伝」を読み続ける。相変わらず時間の進み方がのろい。他にも時折TwitterとiPadでのゲーム(数独)などをする。
昼食からは粥でなく普通食になった。味が薄くて美味いとはお世辞にも言えない。
 就寝後大混乱。病室内テレビの視聴カードは購入せず、テレビは一切観ていない(その分自宅のレコーダーに録画予約をタップリしてあった)のだが、朝ドラの「マッサン」の最終回の後も特番をテレビで生でやっているのでは?という推測から脳内予想画面プレイが始まり……(これ以降は別記事に書く)
 傷の痛みはやや軽くなったとはいえ、起き上がりなどが苦しい状態は続く。

【3月29日(日)】
7時ごろ起きて、Twitterよりは読書の方に(なるべく読み終わろう、返却日は4月1日だし、と)注力する。
 11時ごろすべての管(導尿管、ドレーン、痛み止め薬注入カテーテルなど5本も取り付けられていた)の抜き取りが終わる。うれしい!!
 やっとトイレにもまともに入れる。導尿管があると、その膀胱内の微妙な位置どりにもよるが、「漏れちゃいそう!」的な感覚を惹起してパニック的な焦燥感をきたすのに、実際の排尿は出来ず、それに伴なって大便の方の排泄がしにくいのだ。あれは全くイヤなものだ。
 自由になった身でパジャマのまま外出。敷地内のの大木の今まさに満開状態を鑑賞する。(クリックで拡大)
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 午後も読書継続。
 4時ごろ友人(毎年年末年始に自宅に招いてくれる)がお見舞いに来てくれた。土産のカットフルーツをパクつく。2時間ほど話してから帰る。話題は以下(細密圧縮充填リスト)の通り
●子供の動向●FacebookとTwitterの違い●iPhoneの電池がヘタった●僻地での電波状況の網羅的調査データがネットにない問題●電子書籍積ン独問題●朝ドラ「マッサン」エマ役(2番め)の女優は「あまちゃん」GMT47の宮城県出身役だった(知らなんだ)●中森明夫の「寂しい力」読んじゃったので貰う●Twitterでの「リスト」の使い方●……
と書き連ねようとしたが、2時間喋りっぱなしだった割にはあまり出てこないな。(よかったらメールで補足して頂戴。後で追記するから)
 夜、例の鼾のうるさい隣の人から「買ったばかりのスマホの操作方法について教えて」と頼まれて、文字入力の仕方などを教える。今までは検索ワードなどを《音声入力》しかしてなかったらしいw。「それでは電車の中など人目いや人耳のある場所で困るでしょう」と言ったら、その通りだと。フリック入力のキモ(飛行機が滑走路に着陸するように、向きと速度を持たせて撫でるように触れればワンタッチで素早く目的の字を入れられる)に感激なさっておいでだった。(ちなみにこの人、友人との会話中に、「GMTとはなんぞや?」と割り込んできたのだったw)
 寝床の中でTwitterしてると、仙台の友人から「さっさと寝ろ!」みたいなツッコミが入る。

【3月30日(月)】
昨夜寝入りばなにまたしても大混乱。詳しくは別記事にて。
 10時半にはベッドインしたのに、起きたのが7時過ぎで食事が来てからという、あまりよく眠れない状態だった。
 件の〈ミスター鼾〉、一足早く退院。
 Twitterをしたり読書をしたり、11時半からシャワー浴び、着替える。しかしなんで浴室内に洗面器の1個も置いていないのか?
 主治医と会って話し、こちらから希望したこともあって、3/31退院が決定。術後は確かに順調で傷口は塞がっているし、痛みは当分(1ヶ月位は)我慢するしかないし、入院していても同じで何をするわけでもないので退院ということになったという次第。痛み止め内服薬を7日分処方あり。
 次回の外来受診は4月21日と決まる。今までの2週に一度の外来化学療法(抗がん剤の点滴)はやめ、今後は内服の抗がん剤で様子を見ようと言う話。医師は「がん細胞は取り除けたので」と若干〈どや顔〉風の言い方をした(外科医としての矜持の現れか?)。むしろ私の方が、「がん細胞は根絶されたわけではないのでは?これから落ち武者狩りというか掃討戦というか、が残っているのでは?」という疑問を呈した。特に否定はされなかったが。今後の治療方針はもっとよく話し合わないといけないだろう。余命期間は少し延びたのかな?という感触はあるのだが。
 午後はTwitterとゲームと読書をくり返す。「東京自叙伝」は約30頁残してほぼ終わりそう。
 早めに10時に就寝する。この時は例の入眠時の混乱は無く、ぐっすり寝て翌朝5時にパッチリと目が覚めた。

【3月31日(火)】
昨夜は早く寝過ぎたので、朝5時に熟睡感たっぷりで爽快に目覚めるという、近年稀な体験をした。
 荷物をまとめて帰り支度。10時に退院手続きや支払いを終える。
 高額療養費の自己負担限度額は3月上旬に外来で支払っているので、今回の支払いは無いかと思っていたら、入院と外来は別だそうでばっちり請求されてしまった(→カードで支払い)。後で還付されるだろうとは思うが。
帰りに日暮里駅まで歩いて駅のすぐそばの谷中墓地の中に入って桜満開を楽しむ。
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 癌になってから、月並みな心境変化かも知れぬが、桜の花を見れる喜びがより強くなった気がする。「あと何回見れるかな?」あるいは「今年も見ることが出来た」という愛おしさ…。

 退院して帰宅したら、春アニメ一覧をチェックして、〈後になって好評を博し、最初の放映を見逃していて切歯扼腕する羽目になる〉のを防ぐための「取り敢えず録画予約」(実際には永久に観ずに終わるのが大半)をせねば、などと想い出す。
 
【禁煙の件】
25日(水)に入院して以来、退院まで6日間、禁酒禁煙が続いたわけだが、禁断症状は出ていない。これだけ絶っても支障が無いのならば、さしたる苦痛もなく禁煙を続けられるのではないか?という希望が出て来た。これは「千載一遇」のチャンスかも。
 というのも、医師から「喫煙者のがん末期は、痰が多く出て、上手く排出出来ず苦しむし、誤嚥性肺炎にもなりやすいぞよ」と聞いてたところ、今回の手術後の痛みのためにうまく痰を切れず、その苦痛を身にしみて先取り体感する事になったので、こりゃ辛すぎるわ!と禁煙へのインセンティブが急上昇したと。
 ただ、禁煙の苦痛というか吸いたい欲求は、例えば電車内や映画館など当然禁煙の場所では意識下に抑圧されるのかあまり感じないのだが、入院中の今はそれと同様の心理状態にあるがために禁断症状が出てないだけかも知れず、退院した途端猛烈に吸いたくなる恐れ無しとはしない。さーどーなるか?
 …とTwitterに呟いたのだが、自宅に戻っても禁断症状は出ていない。これは意外にすんなり行けるかも。

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