「捨てる女」(内澤 旬子) [ノンフィクション]
この著者の本(「世界屠畜紀行」とか「東方見便録」とか、いろいろあるらしいが)、読むのは初めて。
それにしてもかなりユニークな生き方だ。
乳がんを患って心境の(体調も)変化が起こり、それまでためにためていたものすごい分量の本、家具、道具類、食べ物に至るまでをひたすら捨てるために奮闘する生活に入った、その何年間もかけての心情記録。
ガンにより、それまでは自分のライフスタイルとして普通だった身の周りにモノがいっぱいの生活空間に突然もう生理的に耐えられなくなるという大転換が起こった、と。
特筆すべきは〈飼って食う〉という行為の実践(これは「屠畜紀行」の体験からの発想なんだろうけれど、そのへんに至る経緯は省かれているので、やや唐突感は否めない)のため、千葉県旭市に広い廃屋を借り、挑んだ養豚(三匹)の記録で、これがまたちょっと尋常じゃない。
その設えのため、膨大なゴミ(捨て場と化していたのだ)を片付けたり畜舎を建てたりに要した多大な手間と奮闘。肝心の「屠畜し解体し調理し食う」部分は書いていないが、それはまた別の本に書いているようだ。
離婚、転居とそれに伴う物の移動、ここでも整理と捨てる作業は発生する。なんとも面倒極まる。
そして、3.11の大震災。揺れ動く心、政府や東電への不信。節約節電のためトイレットペーパー使用を脱却する試み、手動ウォシュレットとペーパーレス尻拭きの(検便録の体験が役立って)試行錯誤も面白い。
仕事でたまりきったイラスト原画と古書(稀覯本が沢山。そのそれぞれへの海外での入手経緯も含めてのこだわりも凄い)、蔵書の展示・一掃販売のイベントの話(協力者たちの有り難さ)も面白い。
なんとも盛り沢山な内容だ。
その際の述懐――
>いざなくしてみて、ああやっぱり困る!!と嘆く方がまだ良かったようだ。どうやら資料本以外何を捨てても特に困らない。ってことはもう自分はこれまで積み上がった過去にも以前ほど興味や執着がないんじゃなかろうか?……なんだこのがらんどう感は。なぜだろう、自分の中のみっともない執着や我欲と対峙するほうがよっぽどましだ。このうつろな思いは、処分が進んでいくごとにしんしんと深まってゆくのである。
――これはなかなかに深い言葉である。安易なスピリチュアル系「断捨離」本との違いがここにある、と感じた。捨てりゃ魂のステージが上がるって、そんな単純なもんじゃないんだよ、というような。
しかしこれはまだ中途の感懐である。後には体調も良くなって元気になり前向きになり、「もう少し生きられそう」となる。こういう心境の変化も興味深い。同じがん患者として(自分のケースとは大違いだが)。
文体のこと:
連載された「本の雑誌」的な文体、つまりはあの〈昭和軽薄体〉に近いな、というかそのものかも?と感じた。口語的で小気味良く、どっちかと言うと男性的。「てゃんでぃ、べらぼーめ」的な…。フランクであからさまで、そしてやや自虐的w。
それにしてもかなりユニークな生き方だ。
乳がんを患って心境の(体調も)変化が起こり、それまでためにためていたものすごい分量の本、家具、道具類、食べ物に至るまでをひたすら捨てるために奮闘する生活に入った、その何年間もかけての心情記録。
ガンにより、それまでは自分のライフスタイルとして普通だった身の周りにモノがいっぱいの生活空間に突然もう生理的に耐えられなくなるという大転換が起こった、と。
特筆すべきは〈飼って食う〉という行為の実践(これは「屠畜紀行」の体験からの発想なんだろうけれど、そのへんに至る経緯は省かれているので、やや唐突感は否めない)のため、千葉県旭市に広い廃屋を借り、挑んだ養豚(三匹)の記録で、これがまたちょっと尋常じゃない。
その設えのため、膨大なゴミ(捨て場と化していたのだ)を片付けたり畜舎を建てたりに要した多大な手間と奮闘。肝心の「屠畜し解体し調理し食う」部分は書いていないが、それはまた別の本に書いているようだ。
離婚、転居とそれに伴う物の移動、ここでも整理と捨てる作業は発生する。なんとも面倒極まる。
そして、3.11の大震災。揺れ動く心、政府や東電への不信。節約節電のためトイレットペーパー使用を脱却する試み、手動ウォシュレットとペーパーレス尻拭きの(検便録の体験が役立って)試行錯誤も面白い。
仕事でたまりきったイラスト原画と古書(稀覯本が沢山。そのそれぞれへの海外での入手経緯も含めてのこだわりも凄い)、蔵書の展示・一掃販売のイベントの話(協力者たちの有り難さ)も面白い。
なんとも盛り沢山な内容だ。
その際の述懐――
>いざなくしてみて、ああやっぱり困る!!と嘆く方がまだ良かったようだ。どうやら資料本以外何を捨てても特に困らない。ってことはもう自分はこれまで積み上がった過去にも以前ほど興味や執着がないんじゃなかろうか?……なんだこのがらんどう感は。なぜだろう、自分の中のみっともない執着や我欲と対峙するほうがよっぽどましだ。このうつろな思いは、処分が進んでいくごとにしんしんと深まってゆくのである。
――これはなかなかに深い言葉である。安易なスピリチュアル系「断捨離」本との違いがここにある、と感じた。捨てりゃ魂のステージが上がるって、そんな単純なもんじゃないんだよ、というような。
しかしこれはまだ中途の感懐である。後には体調も良くなって元気になり前向きになり、「もう少し生きられそう」となる。こういう心境の変化も興味深い。同じがん患者として(自分のケースとは大違いだが)。
文体のこと:
連載された「本の雑誌」的な文体、つまりはあの〈昭和軽薄体〉に近いな、というかそのものかも?と感じた。口語的で小気味良く、どっちかと言うと男性的。「てゃんでぃ、べらぼーめ」的な…。フランクであからさまで、そしてやや自虐的w。
タグ:食
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