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「図書室の魔法」(ジョー・ウォルトン) [ファンタジー/ホラー/ミステリ]

 ヒューゴー賞・ネビュラ賞・英国幻想文学大賞受賞!なのにSFではないという、一瞬どういうことかわからない前代未聞の小説。SFではないが、SFについての話はたんまり出てくる作品ではある。つまり主人公の少女が大のSFファンの活字中毒者で、大量に読みまくっており、作中に登場する(そして何らかの論評が加えられている)SF作品数は優に百を超えるのだ。SFファンの共感を惹起しまくりなのである。ならば受賞も当然か。数々の作品名に懐かしさを覚え、引き込まれる。読書の楽しみをいきいきと描いた作品だ。

図書室の魔法 上 (創元SF文庫)
図書室の魔法 下 (創元SF文庫)

 1979―80年の英国を舞台に、15歳の少女モリが一卵性双生児の妹を事故で失い、自身も脚に障害を負い、精神を病んだ母親(魔女?)から逃れ、離婚した実父に引き取られるが、その姉たちの意向で女子寄宿学校に入れられてしまい、周囲に馴染めずひとりぼっちのモリは大好きなSFと、自分だけの秘密である魔法とフェアリーの存在を頼りに力強く生きていこうとする。日記に綴る悩みと苦闘、青春と冒険と成長の物語。いや面白い!

 トールキン、ルイス、ゼラズニィ、ディレーニィ、マキャフリー、アシモフ、ニーヴン、ティプトリー、ル・グィン、クラーク、ハインライン、カート・ヴォネガット・ジュニアなどなど綺羅星のごとく名作傑作が続々登場する。ブラッドベリが1冊も無いのは「?」。レムもない、というか英米作品だけか。プラトンやシェイクスピア、エリオットなど普通の古典も数多く読んでいる。SF以外も乱読なのだ。

 さてはて、こんなにSF好きな少女というものが果たしてこの世に居るだろうか?どうも不自然だと思ったけれど、この日本に居た!「本の雑誌・7月号」P112,池澤春菜氏が「完全に私だ!」「うちの本棚じゃないですか」と書いている。ま、たしかに居たわけだが、相当な珍種ではあるだろう。この本を読んで触発されてSFにハマる少女、というのは考えにくい。SFファンでないとこの本は面白くないだろう。ま、未読作品についての論評も興味深くはあるのだが、あくまでもSFファンとしての素養は必要だろうし。

 巻末に収められた登場作品リストに既読のものを印をつけてみたら、なんと32作しかないorz。1980年頃の私は(初めてのパソコンPC-8001に熱中していて読書量全体が落ちていたこともあり)SF読書量が相対的に減っていた時期だったからかも知れない。70年代英米SFの主要作品を意外なほど読み込んでいないのがあらためて分かってしまって、いささか忸怩たる思いだ(「黄金の50年代英米SF」つまり古典的作品もかなり入ってはいるが)。まぁその分日本の作品を少しは読んでいたし、彼女の方は母語作品(それは世界のSFをリードしていたのだし)に親しんでいたという事情はあるのだろうけれど。

 図書館で知り合ったSFファン仲間の毎週の読書会の部分で、アスキーネット時代のSF-sigで毎月やっていた貸本会を思い出した。この読書会ほど作品論や作家論は深めず、雑談放談が主だったけれど。ファン同士で語り合うのは楽しいものだ。

 ところで、この小説の中で重要な存在である《フェアリーと魔法》について、どう捉えればいいのか?
 寄宿学校での生活やSF仲間との読書会、父や叔母たちとの交わりなどの「日常レベル」の話とあまりにも隔絶した世界がダブって展開しているわけだが、最初に作中で宣言されているように「信用出来ない書き手」によるものであるし、しかも日記の一人称文体で展開するだけに「虚構」として扱わざるを得ないのだが、ストーリー構造としてはむしろこっちのほうがメインであって、主人公が現実逃避のために時々逃げこむ夢想、なんてレベルではない。最後のクライマックス(異能バトル)まで行くとぶっ飛んでいる。作者自身が強調しているようにこの本は基本「フェアリーテール」であって、SF話はおまけっぽいのだ。余技というには存在が大きすぎるわけだが。

 ともかくSFファンは必読。
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