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東北旅行・その1 [身辺雑記]

毎年恒例の、早逝した友人を偲んで命日の頃に大学クラスメートが集まる会、例えば2011年にはこんなこと(「ヴェネツィア展、スカイツリー、水上バス、ちゃんこ鍋」)をやったわけだが、今年は初めて遠方に旅行に行こうということになった(《大人の休日倶楽部》を活用できるようになったというのもある。それも日程的に「パス」が使える頃合いということも)。
 メンバーの一人A氏が仙台在住であり、今まで毎年遠路はるばるやって来ていたのだが、今度はこっちから行こうという意味合いもあり、また「観光で行ってもお金を落とせば被災地支援にもなる」ということで、いくつか案を検討した結果、南三陸の避難所として奮闘したことで有名になったホテル観洋に泊まり、その辺を観て回ろうということになった。物見遊山というより《ダークツーリズム》的意味合いを込めて。
 ところで、その計画準備、スケジュール調整のためにメーリングリストでやりとりしているうちに、《大人の休日倶楽部》入会手続きやら新幹線予約やらに私が困惑したりもたついたりしてしまい、友人から【老人力】がついて来たなと言われ、さらに【旅音痴】の称号を賜るという不名誉な事態を招いてしまった。
>自分で旅をプランニングして旅程を作り上げることに興味を示さないタイプの人
>ネットの検索はA地点からB地点までどう行くかには適するが、途中でどのような地点を通れば楽しいだろうか、には向かない。時刻表がなければ楽しい旅程は作れないという意味で。
>旅程をつくることを楽しいと感じない人は「旅音痴」

という訳だが、ぐうの音も出なかった。確かに私は旅行好きとは言えない「出不精」な人間で、国内旅行でさえここ数年していない。新幹線に最後に乗ったのは確か2007年、それも仕事での出張だった。旅行自体は楽しめるのだが、その準備などが有り体に言えば「面倒くさい」のである。

 そんなこんなで、指定席券取得にまでもたつき、先に取っていた友人の席を変更させるという面倒までかけてしまったのだが、詳しく書いてもしょうもないので省略する。

 ◆

 11月29日は例の二週間に一度の外来抗癌剤点滴治療の予定日だったのだが、在宅持続点滴セットを装着していても外出はできるけれど、旅行の楽しみの一つである入浴ができなくなってしまうので、あらかじめ予定を一週間先延ばしにして貰った。

 早めに就寝したのだが、遠足前日の小学生状態になったか、なかなか寝付けず、睡眠不足。11月30日(土)朝10:02上野発のはやぶさに乗り、東京駅から乗ってきた2人(T氏未亡人とS氏夫人)と並んで座って仙台に向かう。本来新幹線というのはあの丸い団子っ鼻の車両という最初のイメージが未だにある私にとっては、流線型にしても程があるだろうと言うくらい長〜い鼻の先頭車両は異様に未来的すぎる感が拭えない。ちなみに型番(「N700系」とかの)はわからない(お前はそれでもタモリのファンかっ!)。乗り心地は良かった。揺れが少ない。北海道と違い、保線はしっかりしているのだろう。2人の同行者のうち1人はつい最近iPhone5c(黄色)を買っていて、メンバー5人全員がiPhoneユーザーという、…いや別に日本じゃ珍しくもないか。そのiPhoneをいじりながら使用法などを教え合ったりしながら、あっという間に11:30過ぎ仙台に着いた。

 改札を出て、仙台在住の友人A氏夫婦と落ち合い、東口の牛タンの店(利久)へ案内されて昼食。思った以上に柔らかくて美味しかった。テールスープ付きなので、「牛口なるも牛後付き」で食べるのは初めて。
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 食後、もう一人の仲間S氏が前日から一人先行して盛岡経由で一戸町御所野縄文遺跡を観てきたのだが、新幹線で仙台に着き「旅の仲間」5人が集合。A氏の車(プリウス)に乗って、南三陸へ向かう。

 都市中心を離れて海岸に近づくと、見渡すかぎりの更地が延々と広がっている。やはり写真やTV映像で見るのとは違う。さすがに瓦礫は綺麗に撤去されているが、土地の嵩上げ工事が進んでいなくて、家屋の再建はまるでなされていない。

 仙台市の東部沿岸にある荒浜地区に寄って、下車して海岸を観る。海水浴場だったのが今は見る影もない。
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 慰霊の観音像。
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 仙台東部道路~三陸自動車道路を経由して南三陸町に向かう。結構遠い。4時頃ホテル観洋に到着。崖に立つ大きくて立派な建物だ。入り口が5階。
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5階ロビー。なるほど「観洋」の名前の由来がわかった。
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パノラマで撮ればよかった。
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 チェックインしてすぐに大浴場へ。広々して気持ちがいい。大きな窓ガラス越しにあの海が眼前に壮大に広がっている。さらに海側に露天風呂まであって、ドアを一つ開ければそこに行ける。(撮影は自粛)
 6時過ぎからホールで夕食。客数は多い。料理は絶品だった。特に驚いたのは「アワビの踊り焼き」。ちょっと残酷な感じもするが、レモン汁とバターをかけて頂く。美味!(つい撮影は忘れた)
 食後は部屋に戻って、またビール。みんな疲れていたのか飲み過ぎたか9時過ぎには早々に入眠。

 ◆

 ホテル観洋の売りの眺望でも特筆すべきは、風呂に入りながらご来光が拝める、ということなので翌朝6時過ぎに起きて風呂場へ行くと、昨夜と同じくらいの人数の客が入っていて大賑わいである。冬なので日の出の時刻が遅い(6:35頃)のが助かる。S氏はiPhoneを持ち込んで撮影したのをあとで知った。彼のFacebookからそれを転載させてもらうことにした。
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 朝食(バイキング)の後、8:45発の語り部バスに乗り込む。これはホテル従業員がガイド役となってずっと途切れなく説明しながら町の中心部を回り、あの防災庁舎(職員が最後まで避難を呼びかける放送を続け、大勢が犠牲になった。ここだけ下車)をはじめとしていろいろ見て回った。
 綺麗さっぱり骨組みだけになっている。
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 ここでは「写真はいいけど、観光地での(はしゃいだ)記念写真的なものは撮らないでください」と言われた。以前そういうことがあって、地元の人とトラブルになったことがあったらしい。そりゃそうだろう。
 海岸からかなり遠くの高台にまで水が来た、という話、なかなか想像しにくい。語り部は地元の人で、家族も無事だったそうだが、生々しい体験を切々と語りながらも明るく前向きに生きていく意志を強く感じさせ、胸を打たれた。

 ホテルに戻り、10:00頃チェックアウト。車で10分ほどのところにある、A氏の知り合いである養殖漁業家の阿部さんを訪ね、牡蠣をふるまわれつつ震災当日とその後の話を聞く。ここでは海産物などをパッケージにして宅配で送ってくれるサービスもやっている。へこたれないで工夫によって生活を切り開いていくバイタリティは凄い。

 ここを後にして、仙台への帰途、全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の跡地に立ち寄った。こんなに海(というより北上川)に近いところだったのか。
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小学校としてはユニークなデザインの建物だった。ここで楽しく過ごしていた子どもたちの事を思うと無残という他ない。

 午後2時過ぎに仙台に帰着。青葉城近くで、A氏は車を家に戻すために別れ、4人で城跡を見物する。私は前(と言っても30年も前だが)来たことはあったが、他の人は初めて。伊達政宗の騎馬像がどこにあったのか忘れていた。
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見事な石垣
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 城を見た後、青葉通りを東進し、一番町モールなどをブラブラと歩き仙台駅へ向かう。駅で私以外は帰京する切符を買った。みな仕事があるので、帰らざるをえないのだが、私は4日間有効の《大人の休日倶楽部パス》をフル活用するために一人で旅を続けることにしたのだ。
 A氏がバスで戻ってきて再度落ち合い、寿司屋に入って早目の夕食。別れを惜しみつつ6時半頃の新幹線に乗ってS夫妻とT氏の3人は南へ、私は北へ向かった。
(第1部・了)
タグ:写真
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