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「ことばの力学―応用言語学への招待」(白井 恭弘) [言葉]

「応用言語学」とは「現実社会の問題解決に直接貢献するような言語学」と定義されるが、そもそも人間の行う営みの殆ど全てが言葉と密接に関係しているわけで、当然その守備範囲は広い。
ことばの力学――応用言語学への招待 (岩波新書)

ことばの力学――応用言語学への招待 (岩波新書)

  • 作者: 白井 恭弘
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/03/20
  • メディア: 新書


 その対象の幾つか大きなテーマが各章でわかりやすく説明されている。が、概観しての要点のみの紹介なので、正直言って深みは無い。(興味を持ったらそれぞれの専門書に、と文献リストはちゃんとしている。)あくまでも「入門」なのである。総じて新しい知見というほどではなく、この方面のよく整理されたガイドといった印象だが、それぞれがとても興味深い内容なので、面白く読めた。既知の項目も多かったが、中には「目から鱗」の話もたくさんあった。


 では各章の内容を以下に細密圧縮充填リストで。

1 標準語と方言
●政治的問題●権力支配効率化のための標準化●方言への差別●方言は平等●方言と標準語との境界の曖昧さ●方言保存の必要性
2 国家と言語―言語政策
●コーパス計画●方言撲滅運動●モノリンガル主義●危機言語の保護
3 バイリンガルは悪か?
●母語に悪影響は及ぼさない●脳のリソースの奪い合いはない●言語知識の共有がなされる●認知的優位性がある●モノリンガル人間の方が世界的には少数派
4 外国語教育
●第二言語習得学(SLA)という学問、学習者のデータを教育学・心理学・社会学・文化人類学などの方法で研究●インプットを聴いて意味を理解することが言語習得の本質●「正しさ」至上主義の呪縛で消極的になり上達できない●英語帝国主義●英語非ネイティブ同士の国際コミュニケーション言語としての英語の存在意義●〈日本英語〉で可とばかりは言えない。発音が通じない問題●アラビア語を学ぶイスラエルの子供はより平和的になっている
5 手話という言語
●手話は自然言語である●音声言語と別に生成発展●各国で全く違う●手話でも高度に複雑な会話は可能●日本語手話は日本語と文法が異なる●日本語対応手話は自然言語ではなく音声を手話で逐語的に表現●手話を幼少時から母語として獲得することの重要性
6 言語と文化
●言葉が思考を決定する●主語を言わぬ日本語―動作主体が曖昧、主体を推測●日本人の子供は〈心の理論〉の発達が早い●ハイコンテキスト=空気を読む文化●敬語の変化、対象言語(尊敬語、謙譲語)の衰退●英語話せても日本的以心伝心は駄目●ステレオタイプ(=先入観)は差別問題を含む。予断の元●男は会話で問題解決志向かつ競争意識、女は会話を楽しむ傾向=ジェンダーギャップ
7 無意識への働きかけ―政治・メディアのことば
●メタファーの利便性(理解の助け)→真実を偏った見方で捉える弊害●報道の偏りの問題●言わないことで隠蔽●「除染」はまやかし「移染」とすべき●言語は強制的に範疇化する●〈カテゴリー〉の不完全性●プライミング効果―先行刺激が後の反応に無意識に影響を与える●世論調査でのサンプルの偏り●相関関係と因果関係の混同
8 法と言語
●犯罪捜査での方言による犯人像推定●方言の真似は非常に困難●法律文の難解さの問題―誘導の入り込む可能性●目撃証言も誘導されやすい
9 言語障害
●ディスレクシア(文字が読めない、知能は正常)●自閉症児とバイリンガル→問題なし●知識の二重構造。宣言的知識(何かを説明できる)と手続き的知識(例:靴紐の結び方)ボケると前者が駄目になる●高齢認知症でも手続き的知識としての言語能力は残る(一見普通に喋る)
10 言語情報処理はどこまで来たか
●機械翻訳の進展●音声認識、Siriの仕組み●ディープブルー(チェス)、ワトソン(クイズ番組優勝)●AIの開発困難さ、未だ人間の知性は持てず、表面的●テキスト読み上げソフトなど、障害者への恩恵

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コメント 2

noga





宇宙の成り立ち、古代文明の有様、外国の実情などを知る場合にも、我々は英語を使わなくてはならない。
外国人が我々日本人を理解する場合にも、英語を通して行われている。かな・漢字を通して理解されているわけではない。
だから、英語は、我々にとって単なる一外国語ではなく、とりわけ重要な国際語というにふさわしい情報交換の手段となっている。

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みのようなものになっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、英語力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのが効果的である。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人の ’あるべき姿’ の一つと考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要である。
英語を実用の言語とする政治指導者の先を見据えた努力が欠かせない。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。彼等は、生涯、日本人のような歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能なことではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになる。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義がある。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育は存在しない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。つまり、一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人の価値は低い。

我が国には「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にとどまっている。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉に冴えが必要である。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段という結果になるのであろうか。




http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/


http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

by noga (2013-08-08 00:59) 

ask

コメントありがとうございます。
しかし、これ、私のブログを読んだ上で新たに書き起こされたものなのですか?とてもそんな時間があったとは思えませんが。
…とすると、どこかのブログに書かれたもののコピペではないかと思料いたしますが、でしたら全文をここに載せるよりも、トラックバックをしていただければ、と思います。
身勝手かも知れませんが、コメントはあくまでも私のこのブログ内容についてして欲しいものですから。
あと、失礼ながら文章がこなれていなくて読みにくいです。私にはちょっとレベルが高すぎるみたいです。
失礼の段、お許しを。
by ask (2013-08-08 01:12) 

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