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電子書籍での〈改行〉 [言葉]

毎日新聞に「女の気持ち」という、身辺雑記的な読者投稿を載せている欄があるのだが、5月4日に電子書籍という題の投稿(39歳女性・主婦)があった。
 昨今ブームの電子書籍端末に試しに触れてみての感想が書いてあって、

>字を大きくした瞬間「違う、やっぱり違う」と違和感を持った。文字の大きさに合わせてコロコロと改行されてしまうのだ。
>文を書くのに、素人の私でも改行には気を使う。人の名前や地名は改行したくないな、この言葉は行末には入れたくないな、などと考えてみる。ましてや書くことを生業とされている方ならば、そこに大きなこだわりがあるのではないか。推敲して熟考されるのではないか。


 と言うのだが、これにはいささか驚いた。かくも強いこだわりを持つ《読者》が居るとは! しかも、ソフト改行(内容的に意味のある、一区切りを入れるための行の途中での改行)でなく、ハード改行(画面の大きさと1行文字数の限界による物理的改行)にである。その感覚分からないでもないのだが、随分な潔癖症だなぁ、という印象だ。まだ老眼の洗礼を受けてはいない年齢なのだろうけど。老眼になったら、文字の大きさ問題の深刻さは「そんな事にこだわってる場合かっ!」となるは必定、なんだがねw。
 大体、それを言うなら〈拡大したほうがより適正な改行位置になる〉場合だってあり得て、功罪トントンではないか?

 以前 Twitter で十文字青氏が、作品を執筆する際に、最終的な物理本(文庫本)の体裁での見栄えを配慮して行数を勘案し、あるパートをページ内に収まるように書いたりする(次のページに数文字残るようなことは避ける)みたいなことを言っていた記憶がある。さすがプロである。が、ハード改行についてまではそれほどのこだわりを持っているという印象は受けなかった。(いや、ページ全体のレイアウトまで考えているらしいので、語句の途中のブッタ切りもなるべく避けていたりするのかもしれないが。)

 電子書籍の文字サイズ設定の自由さ(=改行位置の不定性)は、〈ハード改行〉の意味をより小さくする、と思われる。もともと意味などないのだが、結果的にそこに現出せざるを得ない改行が「絶対的」なものではなくなり、改行にこだわることが無意味化される。テキストというものの本来の一次元性がより強まる、のではないか?

 電子書籍で読まれることをも想定するなら、作家の執筆態度も変化していくことになるのではなかろうか? 逆に、紙の本は作家が〈こういうレイアウトで読んで欲しい〉〈ページ当たり行数や一行文字数、行間スペースを指定したい〉というこだわりを持つケースは否定出来ないから、装丁や紙質、インクの匂い、手触りを持つ絶対的な物理的実体である紙の本のレゾンデートルは無くなることはないだろう。

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