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「小さいおうち」(中島 京子) [小説]

2010年後半の第143回直木賞受賞作。中島京子の作品は初めて。デビュー作「FUTON」という田山花袋へのオマージュ(?)作品があるらしいのは知っていたが…。特に読む気は起きなかったのだが、ub7637さん大絶賛なので読もうという気になって、図書館で予約、しばらく待たされて読んだ。たしかに面白い良い小説だ。


小さいおうち

小さいおうち

  • 作者: 中島 京子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/05
  • メディア: ハードカバー


 昭和初期、戦前から戦中にかけ、東京郊外の瀟洒な家の女中奉公に入った少女タキが、その青春、大事な宝のような思い出が詰まった幸福な時代を、そこの家族と過ごした遠い日々の記憶を回想する形で綴られる手記と、年老いた現在の自分の気持ちとが時折入り交じって、執筆の過程まで見えるようになっている構成は巧みだ。文章は平明で読みやすい。



 戦前の昭和と言えば金融恐慌に農村疲弊、ファシズムの台頭、戦争への泥沼化など、非常に暗いイメージしか無いのだが、その中には子供の頃母親から何度も聞かされた苦労話が染み付いてる部分がある。埼玉北部の農村出身の母の幼少期の赤貧洗うが如き生活の苦労が、これでもかとばかりに開陳されたのだった。
 ところが、その母の1回り以上離れた妹である叔母(昭和3年生まれ)に「苦労したんでしょ?」と、昔のことを訊いてみたことがあるのだが、子供の頃の楽しかった思い出を話すばかりで、のほほんと、苦労話をまるでしないのである。本人が楽天的な性格であり、末っ子で可愛がられて育ったせいもあるのだろうが、どうも母の話は〈貧乏自慢〉的な要素、あるいは我が子に〈世間の厳しさ〉の教訓めいた話を授けて教育的効果を狙ったものだったのかもしれない。実は時代の一面の誇張だったのか?
 逆に、叔母のような「意外に楽しく豊かだった戦前」を思わせるようなところがこの小説にはある。この小説のもう一人の主人公とも言える奉公先の若奥様、時子さんのありようだ。苦労知らずの美しいお嬢様で、華やかなことが好きな、天真爛漫と言えるほどの、一種イノセントな存在。意地悪な見方をすればいわゆる「スイーツ(笑)」(←おしゃれやグルメなど消費生活至上主義的・享楽的で「意識の低い」脳天気な女性一般を指すネット蔑称)的な人物造形とも言えるのだが、大正から昭和にかけての時代のウルバニズムの中で、アッパーミドルの生活としてはリアルな存在だろう。作者の時代考証のための研究取材は相当なものと思える。

 この作品中大きなウェイトを占めるのは〈家事〉つまり、料理の仕方や裁縫や掃除などのディテールである。女中が主人公なのだから当然だが、〈後年『タキおばあちゃんのスーパー家事ブック』という本を出した〉という設定になるくらい、徹底的に鍛えられた家事の様子が描かれていて、これは〈文化遺産〉の発掘的な意味合いもある(『普通の家族がいちばん怖い』現在から見たら、こういう文化は既に失われて久しいわけだが)。自炊(≠本の電子化)の達人たるub7637氏の共感はこの辺による所が大、なんじゃないだろうかとか思ったりして。

 しかし、ストーリーはそのような表層にとどまらない。冒頭示される、女中としての「ある種の頭の良さ」、主人の事情の裏まで汲み取って配慮して行動する気遣い・機転のことだが、それが展開の要となる。それは奥様の恋(不倫)をめぐって発揮されることになるのだが、それなりに心憎いエピソードの展開とばかり思っていたら終章で大ドンデン返しが起こるのだった。

 この終章は一転、タキの甥の息子という語り手が、過去の事実を探索する〈種明かし〉的な部分だが、いやはや圧巻である。よく映画のエンディングロールにある〈登場人物の後日談〉的な、安心できる落とし所の確認的なものではなく、この小説のそれまでの位置づけをひっくり返しかねないオチである。しかし、それは否定ではない。失われた人々、その情念や記憶、古き良き過去への愛惜が胸に迫ってくる決着の仕方である。〈偶然〉に頼った展開なのに、「ご都合主義」は感じなかった。それは結局リアリティ(説得力)をもたらす〈物語としての強さ〉があるからではなかろうか?

蛇足) 板倉正治という登場人物は、派兵先のニューギニアで地獄の体験をした後、紙芝居作家になったりしていて、あの水木しげるを彷彿させられた。
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