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「チューブな形而上学」(アメリー・ノートン) [小説]

 本屋で見かけて、「日本で生まれ自分のことを日本人と思い込んでいたベルギー人少女の話」という帯の文言に興味を惹かれて、図書館で借りて読んだ。なんとも珍妙というか奇怪というか、なんと言っていいのかわからない、不思議な小説である。
チューブな形而上学

チューブな形而上学

  • 作者: アメリー・ノートン
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2011/10/30
  • メディア: 単行本
 今、フランス及びヨーロッパ各国で絶大な人気を博しているという女流作家、アメリー・ノートン(←知らなかった orz しかし、Google日本語入力でも出て来なかったぞ!)の、自伝的小説(1967年日本生まれ)。しかし、3歳までの、である。そんな「自伝」が今まであったろうか?普通の人はほとんど憶えていない筈だ。単に憶えているというだけではない。なんと2歳になるまで何も知覚せず、全く体を動かさず、植物状態の先天的異常だったというのだ。言葉も知らないので思考もない。なのでその期間のことは短くしか記述されていないが、それでも〈チューブ〉すなわち管、口から肛門まで連なる一本の管としての生き物。つまり即自存在的なあり方が描かれる。充足した〈神〉としての意識だけはあったようだ。これがタイトルの由来。
 その後に2歳になった頃突然の覚醒が訪れるが、それは猛り狂った野獣の状態で、四六時中怒りの叫びをあげ続けるという、これまた異様な存在。6ヶ月後にベルギーから訪れた祖母が与えたホワイトチョコレートの甘み体験によって劇的に回復、健常化する。開眼とでも言えそうな驚くべき展開。(糖質というものがいかに幼児にとって重要な栄養であるか、ということを痛感させるエピソードではなかろうか?)
 そうして、一応(?)まともになった2歳半から3歳までのわずか6ヶ月の間に起こった様々なことが、実に微に入り細にわたって克明に記述される。幼児の一人称で、である。この異様さは尋常でない。幼児にそんな語彙はないはずだから。
 しかし、この子の場合はそうでもない。実になんとも天才的な言語能力をほとんど生まれながらに持っていたのである。フランス語と日本語を苦もなく両方身につけ、しかも、喋り始める前にあらかたの日常語を習得してしまっており、大人に悟られないように演技して小出しに発する語数を増やしていく…一体どこまで本当のことなのか、とても疑わしい気持ちになる。脚色というレベルではない。あまりに整合性がありすぎだし、ディテールが豊穣過ぎるのだ(奇態の極ではあるけれど)。

 日本の神戸という街の中の屋敷、庭、公園、海などの環境の自然とのふれあい、身体感覚の成長、兄弟や家政婦との交流などは、幸福な幼年期によくある牧歌的な雰囲気もあるのだが、いわゆる「快楽原則」的全能感が基調の世界観の中に生きている。
 それを描写する筆力が非常に強い。只者ではない力の漲る文章だ。唖然とするばかりで読み終えた。並々ならぬ文才の持ち主であることはひしひしと伝わってくる。ヨーロッパ一の作家というのも頷ける。

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