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「嫁」という表現に対する違和感 [言葉]

Twitterをやっていると、自分の妻のことを指して「嫁が…」と言う人がたまに居る。私はこの古風な表現にずっと違和感を感じているのだが、その「」という呼称に関して面白い公式RT↓が流れてきたので、笑ってしまった。


(リンク切れる恐れがあるので、以下平文で再掲)
>妻と嫁のはなし。妻とは配偶者ですが、嫁とは正確には息子の妻を指す言葉です。字が示すとおり非常にイエ制度を内包する概念ですが、僕はいわゆるおたく用語の「俺の嫁」は正しい用法だと思うのです。だって彼にとってはムスコの妻なんですから。 by @k_semaki


 この場合の「」は、オナホのことでは(多分)なく、独身者のオタクがいわゆる〈ズリネタ〉に使用する、(多くはアニメのワンクール毎に遷移していく)「二次元萌えキャラ」のことを指している。「ムスコの妻」とは言い得て妙、実に上手い表現だ(類似表現として「右手が恋人」というのが連想されるが、これはハードウェアであるのに対し、「」はソフトのコンテンツである)。

 で、ネット上では「」ワード出現頻度はこっちのケースが多いのではないかと思うのだが、それでもあえて自分のリアル配偶者を指すのにこれを使う人が居るわけだ。そこには「俺のムスコの妻」という含意はない(いや暗喩は多少あるのかもしれないが ry)。

 「」とくれば当然対する語は「」しかありえない。(いやまぁ「花嫁」なら対語は「花婿」なので「婿」というのもあるが、ネット上で夫のことを「婿」と呼ぶ人は見たことがない。)
 自分の言語体験では、昔から「嫁」という言葉が使われるときは「うちの嫁は…」とか「あそこんちの嫁は…」など、発するのは姑や舅、他の家の人だけだった。それはその家に従属する存在という印象が強い。「嫁しては夫に従い、老いては子に従う」という「女大学」の教えを彷彿させる。
 やはり、これは古い家制度男尊女卑の背景を持った言葉としか思えないのだ。

 実際、Twitterでこれを使う人は概ねどうもマッチョ志向な印象がある。「草食系男子」全盛の今どきマッチョとは〈絶滅危惧種〉だろうけど、逆に「肉食系女子」などは大のマッチョ好きだろうし(ホントか?)、いやマッチョってまだまだカッコえー(表面的な筋肉美もあるし、バイタリティあるし、自己犠牲的な武士道精神ももしかしたらありそうだし)と思う感性は私にもあるけれど、一方でおぞましきDV亭主も「」と言う言葉を常用してるんじゃないか?という気がしてならないのであった。妻を〈上から目線〉で見てるしょっ?っていう…。
 まぁ、その辺がマッチョとは程遠い私の違和感の源だろう。要するに「」という言葉を使うのはどうも強がりに見えてしまうということなのだった。

(勿論異論はあるだろう)
タグ:違和感 Twitter
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duznamak

 いわゆる「俺の嫁」が性欲に直結するかは、かなり疑問である気がします。「俺の嫁」と結びつく感覚はあくまで「萌え」であって、性欲とはそこまで明確に繋がらないんじゃないかな、と。
 ま、それはそれとして、ご紹介されているTwitterの発言には、爆笑しました。

 さて、僕と同世代や少し上の世代の人の中には、自身の配偶者を指して「嫁」「うちの嫁」という言葉を現実の会話の中で使う人が、けっこう多いと思います。僕自身も、この表現に違和感を覚えたことはありませんでした。
 というのも、この言葉は、自身との相対的な関係ではなく、家族の中での位置付けを表しているとも解釈できると思うのです。つまり、自分の親を「おばあちゃん」と呼んだり、自分の息子を「お兄ちゃん」と呼んだりするのと同様の事例ではなかろうか、と。もっと言えば、自分の妻を「お母さん」「ママ」などと呼ぶ人も多いわけですしね。これらの言葉と「嫁」とは、単に基準の取り方が違うだけで、根本の発想は同じだと思うのです。
 そういった訳で、僕の言語感覚では、自分の妻を「嫁」「うちの嫁」と呼ぶのは“あり”、「俺の嫁」「私の嫁」と呼ぶのは“変”、という感じですね。実際、後者の用法は耳にしたことがありません。
 つまり、自分の妻を指す「嫁」と、オタク用語としての「嫁」との間には、表面的な意味の違いのみならず、文法構造的な相違点があるように思うのです。前者は、家族の中での位置付けを表す「(うちの)嫁」、後者は自身との相対的な関係を表す「(俺の)嫁」ではないか、と。

 ただ、「嫁」という呼び方の裏にマッチョ的な考えを感じる、という点に関しては、僕も同感です。どうもこの言葉には、「女を自分の下に置きたい」「従属させたい」という考えが見え隠れするように思えますね。少なくとも、「妻」という言葉に比べて、“やさしさ”の含有量が少ないように感じます。
by duznamak (2011-12-28 02:00) 

ask

>自分の親を「おばあちゃん」と呼んだり、自分の息子を「お兄ちゃん」と呼んだりするのと同様の事例ではなかろうか、と。もっと言えば、自分の妻を「お母さん」「ママ」などと

以前なんかの日本語論の本で読んだんですが、こういうのは家族の中で一番下位(の末っ子)から見た相対的な位置を示す言葉を汎用的に使うという日本語特有の一種婉曲表現である、と。
対して「嫁」は絶対的客観的な位置なので、違うんじゃないかな?
むしろ家族といえど〈制度的に外部から導入した異物〉感が漂う、と。
「俺の嫁」が相対的な関係を表す、については同意です。(その片方向性についても)。
by ask (2011-12-28 12:40) 

duznamak

> 対して「嫁」は絶対的客観的な位置なので、違うんじゃないかな?

 「嫁」は、舅・姑から見た相対的な位置を示す言葉を汎用的に使った事例ではなかろうか、というのが僕の考えでした。「お母さん」との違いは、「家族の中での位置付け」を表す上で、便宜的に誰をその基準にするかの違いである、と。
 でも、言われてみると、確かに、この考えでは説明のつかない点が多いですね。1つは、舅・姑を基準にした呼び方が他には見当たらないこと。もう1つは、「お母さん」は家族の構成員の誰が使ってもおかしくないのに対し、「嫁」はそうではないこと。
 askさんのおっしゃるように、「嫁」は、「お母さん」などとは全く別種の、異質な言葉のようです。


> 「嫁」は絶対的客観的な位置

 ここから考えてみたのですが、絶対的な「嫁」と、相対的な「嫁」の両方が存在している気がしてきました。「嫁いできた者」という意味の「嫁」が前者、「息子の妻」という意味の「嫁」が後者です。
 前者の意味の場合、姑さんもまた「嫁」であるわけです(一般的な日本の家庭を想定しています)。askさんのおっしゃる〈制度的に外部から導入した異物〉ですね。あるいは、“イエとの関係を示す「嫁」”、とも言えます。それに対して、後者は、“イエ(家族)の中における個人間の関係を示す「嫁」”ですかね。
 で、問題は、現代の夫たちの使っている「嫁」が、どちらの「嫁」に基づいた表現なのか、ということでして。僕自身は、やはり後者のような気がしています。婿養子に行った男性が自分の配偶者を「嫁」と呼ぶことに対しても違和感がない、というのがその理由です。まあ、これだけでは論拠として弱い気はしますが・・・。

 この件に関するaskさんと僕との違いは、配偶者を「嫁」と呼ぶことに対する違和感の有無に集約されます。この背景には、時代の違い・世代の違いもあるのかな、と思いました(そう安易に一般化できるものでもないでしょうが・・・)。なんだかんだ言って、僕は核家族時代に生まれ、家意識が薄れた世代の人間なので。「イエ」というものに対する感覚が、askさんとはだいぶ違っていると思います。例えば、僕は、「嫁」という言葉に、「〈制度的に外部から導入した異物〉感」までは感じないのです。

 ・・・何だか僕自身考えがまとまっておらず、論点の定まらないコメントになってしまいました。ごめんなさい。
by duznamak (2011-12-29 07:17) 

ask

>“イエ(家族)の中における個人間の関係を示す「嫁」”
>この背景には、時代の違い・世代の違いもあるのかな、と
>家意識が薄れた世代の人間なので。「イエ」というものに対する感覚が、askさんとはだいぶ違っていると

 なるほど、これは虚をつかれた感がして、得心しました。そのとおり。世代的な認識の差という指摘は若干ショッキングですが。w 実際私が目にする「嫁」という言葉をツイートする人たちは若い人達ばかりのようですし。

 それに対して私が子供の頃、親と親戚とが交わす世間話が傍で聴くともなく聞こえる場でよく出て来た「嫁」は、そこの文脈にもよりますが、概ね陰口ふうな展開の中でやや蔑称的に使われていました。聞いてて嫌な気分になったものです。それこそ家制度における〈異物〉扱いです。それによって植えつけられた語感があるので違和感を感じるわけですが、今の若い人はそういうニュアンスで使っていないわけですね。
 事実、夫婦仲はとても良さそうな、むしろ「恐妻家」とでも言えそうな人達が使ってるので、この「嫁」は相対的関係性を表す指示代名詞(「父」や「母」や「息子」などと同じ)に過ぎず、人前で身内を指すときは(「お父さんが…」みたいに)敬称など付けないのが大人のマナーなので(ましてや息子を「余人をもって代えがたい」などとは某知事ならばいざ知らず、常識人は口が裂けても言わないのと同様)、「嫁」と呼び捨てにすべきで、「嫁さん」とは言わないということなんでしょう。
 私としては「嫁さんが…」と言ってくれたほうがしっくり来るんですがね。もっとも、会話などでも自分の妻のことをどう呼ぶかというのはなかなか微妙に難しいところがあって、「家内」ではちょっと気取ってるみたいだし、「うちの奥さんが」とか他人のように敬称つけるのはおかしいし、「妻が」では直接的すぎるし、「ツレ」では極端だし、…「嫁」に限っては敬称つけて、私のイメージを補正して通常表現として欲しいわけです。まぁ勝手な思い込みに聞こえますかね?

 ともあれ問題が整理でき、すっきりしました。ありがとうございます。
by ask (2011-12-29 18:09) 

duznamak

> 「嫁」は、そこの文脈にもよりますが、概ね陰口ふうな展開の中でやや蔑称的に使われていました

 こういうのは、昔の話やフィクション作品などを通じて「知識として知っている」って感じです。


> 今の若い人はそういうニュアンスで使っていない

 そうだと思います。
 僕は田舎育ちで、父方の祖父母と同居していましたし、親戚一同で旅行に行ったりすることも何度かありました。それでも、上述のような状況です。たぶん、都会っ子は僕以上に家意識が薄れていることでしょう。
 例えば、同世代の友人知人と話していて、僕が「本家の兄ちゃんが・・・」などと言うと、「“本家”って何?」と返される ―― こんなことがが一度ならずありました。「言葉の意味は知っているけど、どれが本家が分からない」って奴もいれば、「本家という言葉そのものを知らない」って奴もいました。


> 常識人は口が裂けても言わない

 「優秀な人材を探したら、それがたまたま息子だった」とかもですね。いや、さすが偉い人たちは違いますね。僕らには想像もつかないよう発言ができるのですから。
by duznamak (2011-12-30 06:15) 

ask

大晦日と元日を友人宅で(昨年と同様に)過ごしたんですが、彼もこれを読んでて、やはり私と同じ違和感を感じており、世代的な変化という見方に同感のようです。
by ask (2012-01-02 10:53) 

ask

随分間が開いてしまっていたけれど、元々のツイートをした方が、それを【定期ポスト】として再掲してるのを見て、遅ればせながらご本人への報告をしたところ返ってきた答えはこれです。

https://twitter.com/#!/k_semaki/status/177477367529357312
by ask (2012-03-19 23:56) 

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