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「言壺」(神林 長平) [SF]

 随分前(1994年)に出た作品で、今頃読んだのは遅きに失した感がある。翌年の第16回日本SF大賞を受賞している、しかも〈言語SF〉だというのに!(もっとも、2000年に中公文庫、今年の6月にハヤカワ文庫で再刊されているので古すぎということもないだろう。)
 ちなみに、31回行われた日本SF大賞のうち私が読んだのは(アニメや漫画を含めて)15作品しかない。あまり熱心なSFファンとは言えないですね。

言壺 (ハヤカワ文庫JA)

言壺 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者: 神林長平
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2011/06/10
  • メディア: 文庫


 神林長平という作家は日本SF界で大きな位置を占めるが、私は数冊しか読んでいない。作風(神林ワールド)がどうもイマイチのらないのだ。ただ、この人の〈言葉〉に対するこだわりは凄い。
 人は言葉によって世界を認識(=構成)し、思考しており(数も言葉の一つである)、世界は言葉で出来ており、ゆえに言葉が壊れれば世界が崩壊する。その空恐ろしさ。

 〈言葉〉をテーマとしたSFで、思い出すのは川又千秋の「幻詩狩り」で、あの読んだだけで異世界へトリップしてしまうシュールレアリストの書いた詩というアイディアは面白かった。
 言語SFで有名なのは「バベル17」というディレイニーの作品で、大昔に読んだのだが、すっかり内容を忘れている。神林には「言葉使い師」という作品もあったと思うが、これは読んでいない。他にも沢山「そう言えばそういうのもあったな」という言語SFはありそうなのだが、今思いつかない。ディックの「火星のタイムスリップ」に出てきた、破滅的な効果をもたらす「ガブル!」という言葉なんてのもあったし、ベイリーの作品にも色々あった気がする。それを言うなら「ラピュタ」の「バルス!」だってそうかも知れないし…。筒井康隆なんて、言葉遊びが大半な気もする。ことほど左様にSFと言葉テーマの親和性は高い。これは、言葉の持つ呪術性がセンスオブワンダーを刺激するということなのだろうか?

 この作品も言葉というものに異様にこだわった作家らしい作品で、大体「言壺」という字面自体が「言霊」に空目しそうなタイトルである。道具立ては「ワーカム」というワープロの極端な進化形態の文書作成支援マシンだ。対話的に、執筆者の言いたいことを的確な表現に具体化して文章を紡いでくれるという、およそ文筆家にとって夢のようなAIマシン。
 この連作短篇集の各篇をざっとまとめる(多分舌足らずで意味不明)と、

【注意】ネタバレあり。






















「綺文」…意味をなさない文を拒否するワーカムに苛立ち、出し抜こうとする作家がついにシステム全体をクラッシュさせ、成功した挙句世界が変容してしまうというカタストロフィ。
「似負文」…未来から「落ちてきた」ワープロの〈匂い〉で記述された小説。→ジュースキントの「香水」を思い出させる。
「被援文」…個人の言葉(=幻想)がネットで社会的幻想として存立し、自由意思を侵食する。手書き文をも取り込む万能(=世界そのもの)と化したワーカムの恐怖。→ブラウンの「ユーディの原理」を思い起こさせる。
「没文」…海にそびえる800階のビルに暮らす人々。ワーコンに人格を移植して喋らせる。
「跳文」…ワーカム+VRで構成されるクリエーターというシステムで執筆する作家がウィルス(第1話の無意味文がネット上に広まったもの)の攻撃で発狂する。
「栽培文」…遠未来のポットというマシンにより、文字でも音でもないグラフィカルなシンボルで会話する時代の、死者の言葉の遺跡的な結晶化した森で覚醒して大作家となる少女。言葉の呪術性の極み。ちょっとファンタジー臭が強すぎ。
「戯文」…ワーカム使用により、現実と虚構が相互浸透して不分明となり、…殺人事件が起こったようだが、実はどうなのか、またしても発狂?
「乱文」…改行なしで書かれた、言葉の力で権力闘争を勝ち抜いた男の独白。しかし、それはワーカムの文章?
「碑文」…「我、勝てり」とだけの終章。この「我」とは、ワーカムのことなのか?

…なんか書いてて「脳みそウニ」になって来そう(お目汚しの極致でごめんなさい)。神林は、出来ることなら「読者を発狂させるような、言葉の力の極限の小説が書きたい」と思っているんじゃないだろうか?そういう点で、私は術中にはまってしまった感はあるが、いやまだまだ…。

タグ:言語遊戯
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