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「お坊さんはなぜ夜お寺を抜け出すのか?」 [ノンフィクション]

このタイトルはいささか怪しいと言うかキワモノっぽいが、別に「夜な夜な女遊びをしている生臭坊主の実態」を描いた本ではない。なのになぜこんなタイトルを敢えて付けたのか?

お坊さんはなぜ夜お寺を抜け出すのか?

お坊さんはなぜ夜お寺を抜け出すのか?

  • 作者: 虚空山彼岸寺
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2010/07
  • メディア: 単行本
 そこに既にこの本の持つ大きなテーマの一つが現れている。つまり、この現代日本において仏教やお寺という存在が危機的な状況にあり、その状況を論じ打開の道を模索している本なのだが、そういうテーマを直截に表現したタイトルにしたら、「読んで欲しい(一般の)人達に読まれない」から、あえてこういう〈軟式タイトル〉にして関心を引こうとしたのであろう。
 で、私もそれに引っかかって手にしたのかというと、そうではなくて、例によってやはりTwitterがらみで知ったのである。以前にも「死んだらどうなる? on Twitter」という記事で書いた松下弓月氏がこの本の共同執筆者の一人なのだ。それで読んでみる気になった次第。(それにしてもユニークな人物である。映画好きのPerfumeフリーク(かしゆか派)、ICU卒後僧侶の道へという変り種)

 インターネット上の「虚空山彼岸寺」というサイトに超宗派的に若い僧侶が集まって、今の日本の中で仏教はどうあるべきかを真剣に模索している、そのメンバーたちが書いた本である。
 と言っても無収入の悲しい身なれば、図書館をフル活用せざるを得ないので、予約して借りて読んだという、申し訳ない読み手なのだけれども、結構人気があるのかしばらく待たされたということを報告して許してもらえまいか?
 で、さらに不義理なことには、返却期限が迫って拾い読みせざるを得なくなった(どうも最近読書力が落ちているんです)のだが、松下氏の書いたのが明示されている部分は通読したものの、その梗概や個別の詳しい感想を書くほどの読み方は出来なかったのがさらに申し訳ない。

 さて、現代日本の仏教は危機的状態にある。地域の中心的役割は無くなり、葬式仏教としてしか機能していない。本来の仏教のあり方から激しく乖離している。人の生き方を良くするのが仏教であるのに…。

 そもそも19世紀に「神は死んだ」のに、いまだにキリスト教やイスラム教の原理主義者どもはそれに無頓着に依怙地で排他的暴力的狂信的に大量殺戮の応酬をし続けて、ありもしない「神の意志」を体現し続け、この世の不幸を大量生産しているわけだが、仏教は本来〈超越者〉としての神など措定していないので、実はまさに現代にも適応できる宗教、というより哲学なんだろう、と思う。Twitterで紹介される上座部仏教のスマナサーラ師の言葉の持つ圧倒的な説得力と包容力に触れるにつけても、仏教という東洋の叡智の底知れぬ奥深さを感じ、強欲資本主義が理不尽に支配し、環境は破壊され続け、格差は拡大し、無縁社会が進展しているこの世界にあって、一点の光明をもたらし得るものではないかと思えてならない。
 宗派などは些細な違いに過ぎない、本質的なものではない、と松下氏は言う。もっと仏教の本質的な核心に迫って追究し、それを世に問おう、という姿勢は清々としていて頼もしささえ感じる。
 そして、彼らはインターネットというツールを手にした。これは極めて強力な武器である。彼らの今後に目が離せない。自分も如何にコミットできるかという課題を意識させられるのであった。
タグ:仏教
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