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「借りぐらしのアリエッティー」 [映画]

久々のジブリ新作ということで観てきた。平日昼間のスカラ座はすいていた。女性客と子連れが多い。
 「借り暮らし」という言葉は初めて聞いた。あまり変な言葉を創作しないでほしいが、人間から少しずつモノを掠め取って消費するのは、「返さない」のだから厳密には「借り」とは言わない。(床下のスペースは無くならないのだから、これについては「借りている」とは言えるが。)
 「ちょっと借りるだけ」のことを「寸借」と言うが、この言葉に最も親和性の高い言葉は「詐欺」である。つまり借りっぱなしで返さない、最初から返すつもりがないこと。もっとも、「詐欺」というのは相手がそのモノの移動を認識・同意している場合であって、知らぬうちに借りるのは「窃盗」である。そういう意味でもこのタイトルには感心しない。…などと言うと、あの陰険な家政婦のハルさんに共感しちゃうことになるか?
 今回は宮崎駿監督ではなく、ジブリ史上最年少の(って、なんか凄いことみたいな表現だけど、今までそんなにたくさん居たんだろうか?)米林宏昌監督。脚本は宮崎だが。
 冒頭の車から降りるシーンで、ちゃんと体重移動に伴って車がかしいで元に戻る場面には感心した。こういう物理的事象の描写のディテール・細かさが宮崎作品には特徴的なので、この監督もその心を引き継いでいると見えた。もちろん実写と違って、そこには誇張や省略があるのだろうが、いかにもリアルに見えるのだ。
 あと、背景画などの美術も素晴らしい。草や葉などの入り組んだ絵が多いので、相当手間がかかったろう。
 ストーリーはあまり面白くない。話としては単純すぎて、連続物の導入部に過ぎないような物足りなさが残った。フィルムの尺のせいか展開もちょっと強引だ。テーマは〈異種間恋愛〉と言っていいのか、迷う。恋愛ならばその基盤に性愛が必須だが、この二人の間にそういうものがあるようには見えない。むしろ、もっとスケールの大きな〈生類への憐れみ〉みたいなものを感じさせる。細々と生きる小人族だが、「何のために生きているのか?」などという問題に悩むわけではなく、ただ「生きろ!」の生活を営んでいる。病弱な少年がそれに呼応して生きる勇気をもらう、それなりに美しい交流。
 物理的ディテールへのこだわりでもう一つ気がついたのは、ティーポットからカップに注がれるお湯がでかい水玉の形で出てくるところで、スケールの違いによる形態への影響がちゃんと描かれている。が、そんなわりには、そもそも人間の使っているモノを借りてきてそのまま使えてるみたいなのがおかしい。糸一つとってもロープのような太さになるはずで、衣服の布地がどうして小人の身体に普通にフィットしてるのだ?!…などと粗探ししてもあまり意味はないか。
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