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「若者を見殺しにする国」(赤木 智弘) [ノンフィクション]

若者を見殺しにする国

若者を見殺しにする国

  • 作者: 赤木 智弘
  • 出版社/メーカー: 双風舎
  • 発売日: 2007/10/25
  • メディア: 単行本
 こんな論争的な本が出ていたのに気がつかなかったのは迂闊だった。いや、新聞か何かで、かすかにそんな話を聞いたような記憶はあったのだが。
 事の起こりは朝日新聞社の論壇誌「論座」の07年1月号に掲載された「丸山眞男をぶっとばしたい−−31歳フリーター。希望は戦争。」という論文だ。

 団塊ジュニア世代からの悲痛な叫び。バブル崩壊後の就職氷河期に世に出ることになるという不運な目に遭い、めぼしい職にありつけず、30歳を過ぎた今もフリーターで、きつい仕事に低賃金で未来に希望を持てない境遇に捨て置かれている、その恨みつらみが縷々語られる。
 〈今の若者はヘンで、まともじゃない〉などといった「俗流若者論」によって不当におとしめられ、ちゃんとした正社員になれないのは努力が足らない自己責任だ、と切り捨てられる。バブルのつけを、本来責任のある中高年たちは支払わず、若者に押し付け、誇りを奪われ、安定労働者たちは自分たちを守るため新規採用を押さえる方向に動き、…で八方塞がり。このままでは(親が死ねば生きて行けず)いずれ自殺するしかない、と。
 こんな状況を打開するには、〈戦争でも起こって世の中が根底からひっくり返り、万人が等しく苦難を舐める状況にでもなった方が良い〉という意味で「希望は戦争」なのだった。(「丸山眞男を…」というのは、丸山の思想自体に反発しているのではなく、東大卒の丸山が徴兵された時に初年兵いじめに遭ったことから、既成の階層構造をひっくり返す契機として戦争を捉えていることを示す)
 勿論、この一見自暴自棄的で極端な表現は耳目を集めるためのレトリックではある。だから、そのトンデモなさにのみ目を奪われてヒステリックに反発するのは正解ではないだろう。かつての太平洋戦争当時のような状況をどう実現するかについての方法論や、実際に戦争になったらどんな悲惨なことや不正が生じ、自分がどうなるか、などについての考察は全く無いことでもそれは明白だ。
 だが、単なる修辞だけではないくらい追いつめられている、というのは伝わる。ちなみに「戦争を待ち望む」で連想したのは、かの北朝鮮の人々だ。つまり、これは「日本の内なる北朝鮮」的現象だとも言える。それくらい切羽詰まっているのだ。
 だが、踏みつけにされた誇りを恢復するためには、右派的な〈「日本人男性」であるがゆえにエラい!戦後日本は堕落している、戦争で死ねば英霊になって尊敬される〉みたいな価値観に魅かれるというのは、なんとも短絡と思える。んなもんで持てる誇りなんてインチキじゃないか?! インチキでもすがりたい、というところなのだろうが。
 本書ではもっぱら左派が批判されており、有効な反論は(著者にとっては)なされていない。だが、著者には富裕層なんて雲の上の存在は目に入らず、近所に居る身近な安定労働者に対して敵意が向けられる、という近視眼的傾向がある。それも無理もないとは思うけれど、なんともやりきれない状態ではある。
 冷戦が終わってソ連の共産主義が敗北した結果、資本主義は増長慢になって「労働者に遠慮は要らぬ」とばかりに暴走し、19世紀型の苛烈な資本主義に先祖返りしているのが「ニューエコノミー/新自由主義/市場原理主義」だろう。「神の見えざる手」だけでなく、神には「見えざる恥部」もあるのは明白なのに。つい最近、日本の労働者の1/3は非正規雇用という報道があった。「正社員化」への方策も講じられつつあるものの、一部に限定されるだろう。
 容易ならざる事態、の感は否めない。考え込んでしまうのだった。
タグ:日本人
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アヨアン・イゴカー

 序でにブックレビューを読んでみましたが、相反する意見も書かれていて面白いと思いました。
 私はグローバリズムに対して関心があります。また、現在の格差社会についても、大いに心配しております。尤も、この貧富の差は、40年以上前のアメリカで進行しつつあり、TBSか10チャンネルだったと思いますが、社会の裏面を描く番組で報じられたことを記憶しています。
 20世紀前半までは当然の事実として黙認されていた貧富の差が、人間の存在問題になる時代になっているということだと思います。そして、その差を縮めるのが「国家」の仕事であると信じます。国家は単なる経済同友会、利益誘導団体ではありません。
 若者が右傾化するのは、ベルリンの壁崩壊後の東ドイツのようです。彼等は一瞬の解放感に酔いしれましたが、現実は東西の経済力の格差によって、夢から冷水を浴びせられたように覚醒したのでした。そして、ネオナチに共鳴したりする者さえ出てきてしまったのです。
 先日、NHK特集で定時制高校の生徒の記録が報じられました。私は、普通に生活している弱い立場の人々に、何とかして何かの役に立ちたいと言う気持ちは持ち続けています。実行に移すことができないのですが。強者、勝利したものと妄想している人々は、当然のように宣告します。「努力が足りない。努力せずに愚痴るな。」と。しかし、人間の大多数が努力など出来ないのです。普通にしか生きられないのです。努力をしないから貧乏だと言うのは詭弁です。たまたま努力して成功した人間の自慢話に過ぎません。努力しても報われない人間の方が多いのですから。ピアノのコンクールを考えるだけで十分でしょう。
 右傾化する若者の気持ちも、半分は理解できます。しかし、戦争を起こそうなどと考えたりする短絡思考は是正してゆかねばなりません。自暴自棄になるのは未来が見えないからです。社会に馴染むことのできなかった私は、その気持ちが分かるような気がします。
by アヨアン・イゴカー (2008-03-15 11:52) 

ask

アヨアン・イゴカーさん、力の入ったコメントありがとうございます。

>相反する意見も書かれていて面白い
 そう、評価はまっ二つですよね。批判派の方が多いかな?

>グローバリズムに対して関心
 グローバル化は必然でしょうが、アメリカンスタンダードをグローバルスタンダードにされてはたまりません。あんなひどい格差社会! ま、いよいよアメリカも危なくなって来ましたが。

>差を縮めるのが「国家」の仕事であると信じます。
>努力しても報われない人間の方が多いのですから。
 努力は勿論必要条件ですが、十分条件ではないのが自然の法則ですよね。
自然の運不運の不条理に翻弄される社会は文明的とは言えず、〈野蛮〉でしょう。


by ask (2008-03-15 23:42) 

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